Masa’s Pastime

2012年08月19日

そんなある日、一人でコーヒーを飲んでいた私にママは言った。



「そう言えば、、、H君、そろそろ仲直りしたいな、って言ってたわよ」



聞いた私は、ちょっと驚いた。



私はHの奴に腹を立てていたが、、、こんな状況が長く続くのには、うんざりもしていた。



こっちの方も、内心 「何とかしよう」 と思っていながら、、、「きっかけ」 が思い付かずにいるところだったのだ。




何日か経った日の放課後、仲間の一人が私に言った。



「中島ー。 今日の帰り、Hがプラワン行くってよ」



Hとの諍いが始まってからというもの、周りの連中は耳にした 「情報」 をそんな風に伝えてくれていた。



そしてHも私も、お互いそんな風に聞いては 「プラワン」 で顔を合わせないよう避けていたのだったが、、、その日は違ったのだ。




放課後、テーブル席で 「ホットサンド」 を食べていると、、後ろで 「チリン」 という音。



ドアを開ける音に続いて 「いらっしゃい!」 



ママの明るい声。  



振り返ると、、、足を引きずるような独特の格好で、ノソノソっと入ってくる、「H」 が見えた。




奴は、ちょっと気まずそうに近寄ってきて、私に言った。



「あー、あのさ、、、俺も悪かったな、、」  



この時私は、、、ママの強い視線を感じた。



「うん、俺もスマン。 お互い、バカみたいだったな」



長いこと続いたバカらしいいがみ合いは、、、、そんな風にして、呆気なく片付いたのだ。




夕方のプラワンには、一人、また一人といつもの連中が集まりだした。



一緒のテーブルでコーヒーを飲んでいる私達を見て、、、連中は皆、拍子抜け。



エプロン姿のママは 「何も無かった」 ような顔をして、、、せっせと連中のコーヒーを煎れていた。




「からくり」 があったのを知ったのは、、、卒業間近のある日のこと。



自宅前の砂利道でバイクを磨きながら、、、Hが私に言ったのだ。



「けどさー、あん時、お前が仲直りしたいって言ってる、ってママから聞いて、ホッとしたよー」



「えっ、ちょっと待った!? 俺は、お前がそう言ってるって聞いたんだぜ!」



「エー????」



「マジで、、!?」




「ハナタレ小僧」 だった私達に 「大人の知恵」 を教えたのは、、、学校ではなく 「喫茶店」 だったのだ。





(終わり)


posted by Masa’s Pastime at 13:04 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月17日

昨日、久しぶりに喫茶店に寄った。




どういう訳か、明け方から目が覚めてそのまま起き上がってしまい、あまりに早く吉祥寺に着いてしまったから、ちょっと寄ったのだ。





喫煙席を見つけてどっかと腰掛け、ウインナーコーヒーを注文。




タバコに火を着け煙を深く吸い込んで、まずは一服。




それとはなしに周りを見渡すと、、、スポーツ紙を読んでいるオジサン(私と同い年くらい?)とノートパソコンを広げて何やら検索している風のお兄ちゃん、、、それから何やら疲れきった様子の妙齢のカップルがいるだけ。




要は、空いていたのだ。





空いている喫茶店は、ちょっと考え事をするのにちょうどいい。




ガヤガヤ煩くないし、隣の人の会話なども耳に入ってこないから、、、考えがまとまりやすい。




残念ながら、うちではこうはいかない。




そもそも換気扇の下でつっ立ったままじゃタバコもコーヒーも旨くないし、、、考え事をしようにも、ひっきりなしに話し掛けてくる次女の口撃?に遭って、断念せざるを得ないのだ。





喫茶店に初めて入ったのは、高校一年の時だったか。




学校のあった 「西武池袋線の清瀬駅」 近く。




喫茶店への出入りは校則で禁じられていたから、、、生活指導の教師に見つからないよう、コソコソしていたような気がする。





初めて入ったその店では、友達の真似をして 「ホット」 を頼んだくらい。




今考えてみれば可愛いもんだが、その時は大人になったような気分で、ちょっぴりスリルもあったのだ。




それからは味をしめて、、、たまに寄っては 「クリームソーダ」 だの 「ホットケーキ」 だの頼むようになった。




ちょっと横路に入った隠れ家的な店を見つけ、仲間と溜まるようになったのは、2年になった頃。




プラスワン(私たちはみなブラワンと呼んでいた)という名のその店の主人は母親くらいの歳の優しいママで、、、よく私達ガキどもの相談話にも乗ってくれた。




店には 「寄せ書き帳」 のようなノートが置いてあり、いつも来る連中はちょっとしたメッセージのようなメモを残してゆくようになっている。





ある時、同級生の 「H」 と私はつまらないことで揉めて、、、お互いに一人で来ては、ノートに相手の悪口を書いて帰るような事が続いた。




きっかけは本当に些細なことだったのだが、、、顔を合わせず紙面でやりとりするものだから、諍いはどんどんエスカレート。




最近 「メールの書き込み」 による揉め事があるというが、、、同じようなことだったかもしれない。




周りの連中の中には 「Hがこんな事言ってたぞ!」 などと私に吹き込み、、、Hの方にも同じような事を言って面白がるような奴もいる。



人づてに聞く誹謗中傷は、ある意味直接の喧嘩より性質が悪く、、、お互い 「疑心暗鬼」 になっていた。





続く 


posted by Masa’s Pastime at 18:23 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月15日

今日で、8月も半ば。



8月に入ったと思ったら、あっという間にお盆になり、、、大好きな夏が、後半戦に入ってしまった。




それにしても、今年の夏は物足りない。



テレビをつければ 「熱中症に注意」 などと繰り返しているが、、、太平洋高気圧には全く意気地が無く、どんよりとした雲が多くて、ちっとも夏らしくない。



例年より早めに梅雨明けした時には 「こりゃあいいぞー」 と期待したのだが、、、既に夜になると 「秋風」 が吹いていて、何だか肌寒いくらいだ。




それはともかく、、、海水浴場に活気がない。



昨日、一昨日と伊東市に行っていたが、、、、伊東の海水浴場をはじめ、隣接する宇佐美海岸などは本当にパラパラと数えるような海水浴客しかいなくて、実に淋しい限り。



数年前まで何軒もあった 「海の家」 も、去年あたりから遂に 「たった一軒のみ」 となった。



これは 「少子化」 のせいなのか? 若者の 「海離れ」 のせいなのか?



それとも、他の何か理由があるのか?




先週、愚かにもシーズン真っ最中の 「東京サマーランド」 に行った際には、、、、凄まじいまでの人の渦に巻き込まれ、まともに居場所も確保できないほどだった。



更衣室のロッカーは全て使用中。



プールはまさに 「芋洗い」 状態。



本当に、どこにこんなに若者が居たんだろう?と思うほどの人出だったのだ。



これを見ると、、、海水浴場に人が少ないのは 「少子化」 のせいとは思えない。




しかし、若者の 「海離れ」 は、ある程度間違いないだろう。



サーフィンやウインドサーフィンを始め、、、スクーバダイビング、ヨット、ボート等、海のレジャー産業に、一時の勢いがないのは明らか。



特にヨットなどは、大学でも部員が集まらなくて困っているという話しだし、、、事実、伊東で見かけるヨットマンの大半は 「高齢者」 と言ってもいいくらいの年代の方ばかりなのだ。




昔の若者は 「夏」 と言えば 「海」 というようなところがあった。



そうでなければ、「山」 だったり。



それが最近では、「海はベタベタして気持ち悪い」 という感想をよく耳にする。



更に 「運転免許」 を取らない若者が増えていることも影響しているのだろう。




もっとも観光業を営んでいる訳でもない私にとって、海水客が減るのは別に悪いことじゃない。



むしろ、行き帰りの渋滞が緩和されたり、浜のゴミが減ったりと、、、良いことの方が多いくらい。



それでも、何かピンと来ない。



かつて賑やかだった 「夏の海水浴場」 が閑散としているのを見ると、、、何故か淋しくて仕方がなくなるのだ。


posted by Masa’s Pastime at 17:44 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月09日

「大型カスタム腕時計」 の受注を開始してから、早や1月半。



実にありがたいことに開始早々いくつかのご注文をいただき、順次製作が進んでいる。




今回はそのうち 「二作目の時計」 が完成したので、ここにご紹介したい。





まず、この時計に採用されたムーブメントは、1920年製 「ハミルトン920」




これは、先月このブログに画像を掲載したカスタムウォッチ(6月22日ブログ)と基本的に同型のもので、、、「23石ジュエルドモーターバレル」 等を採用した、ハミルトンの最高機種だ。




ケースは 「シルバー」 と 「ステンレス」 の2種類の設定だが、、、今回、依頼者は、シルバーを選択。





と、ここまではある意味定番的な仕様なのだが、、、今回の時計は、特にダイアルに 「こだわり」 がある。




ご希望では、今までパスタイムで製作してきた 「ギロシュダイアル」 の手法はそのままに、、、ダイアル中央部、及びスモールセコンドディスク中央部のギロシュパターン、文字のレイアウトなどに変更を加えたものにしたい、とのこと。




更に、分刻みの 「インデックスのドット」 に関しては、、、、K18で製作したものを 「15分毎に埋め込む」という 「特注品」 になったのだ。





まず、担当者の辻本と先方との間で、デザイン他の 「打ち合わせ」 が行われた。



これはこの手の仕事において、最も重要、かつ注意の必要な部分。



何故なら、依頼者の頭の中にある 「イメージ」 は、直接仕事人の目に見えないから。



場合によっては、、、依頼者自身にもハッキリ見えていないことすらある。



曖昧なまま先に進んでしまったり、「職人の勝手なこだわり」 を入れ込んでしまうと、、、?



そう。



散髪に行って、「キムタクのように」 と伝えたつもりが、、、気が付いたら 「渥美 清」 になった、というようなことが起こり得るのだ。 




依頼者の好み、頭の中に描いているイメージ。



ゆっくりお話しを伺いながら、、、それを少しずつ絵にしてゆき、具体的なものにしてゆく。



今回の場合、依頼者にかなりハッキリしたイメージがあり、参考画像のご用意もあったため、、、それはかなりスムーズに進んだようだ。




さて、「打ち合わせ」 が済んだ後、、、辻本は幾枚かの 「試し彫り」 を行なった。



紙の上に描かれたイメージの一部を、実際の形にする。



「パターンの詳細」、「彫りの深さの感じ」 など。



試し彫りは通常 「銅板」 で行っているが、、、「微妙な仕上がりイメージの違い」 をなくす為、今回は完成品と同じ 「純板」 を使うことにした。




刃物の 「形状・仕上げ」 やローズエンジンの 「刻みのペース」 に微妙な修正を加えた、何枚目かの試し彫り。



これを翌週、依頼者にお見せすると、 「OK!」 とのお返事。



いよいよ、本作に取り掛かった。





1週間後。



遂に 「特注のダイアル」 は、完成。



先方にも大変ご満足いただき、ダイアルは、晴れてムーブメントに取り付けられた。




そして本日 「精度試験」 の終了した、この 「カスタム腕時計」



「お化粧直し」 は、滞りなく済んだ。



あとは、ご主人様のお迎えを待つばかり、となったのである。 

カスタム腕時計 懐中時計 東京 ギョーシェ

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posted by Masa’s Pastime at 13:51 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月05日

先日、 「大いにやりがいのある依頼」 をいただいた。




依頼者のご希望は、おおよそ以下のようなもの。




パスタイムで保管している 「アンティークムーブメント(大型)」 の中から適当なものを選定し、これをベースにした懐中時計を製作する。


ケースは希望のデザインで設計・製作し、「両面サファイアクリスタル」 仕様にする。




ムーブメントの受け板全面に 「アラベスク模様の手彫り」 を入れ、更にこれを 「全面透かし彫り」 する。




ちなみに、「透かし彫りのアラベスク模様」 は、以前カスタム腕時計に施しこのブログで紹介させていただいたが(2012. 2/8ブログ・「透かし彫りムーブメントの完成」)http://ameblo.jp/pastime-jp/entry-11158733632.html 、、、今回は遥かに大型の作品になる。





さて、数あるストックムーブメントの中から依頼主に選び出されたのは、、、19世紀末に製造された 「無銘のスイス製ムーブメント」




文字盤には、この時計をスイスから輸入・販売したニューヨークのジュエラーの名前が入っている。



いつしかケースを剥ぎ取られ、、、「裸ん坊」 になってから相当年数を経ている様子のムーブメント。




汚れがひどく、受け板表面の仕上げ模様なども大分薄れてしまっているが、、、幸い、「歯車」 や 「アンクル」 「テンプ」 等、内部部品の状態は充分良好。


また、焼き物で出来たオリジナルの 「ポーセリンダイアル」 にも、傷みらしい傷みは無い。



今後、受け板は大々的に装飾されてケースも誂えられ、、、おそらく 「何10年振り」 に懐中時計として 「日の目を見る」 ことになるのだ。





さて以前、このブログで 「フランスのスクールウォッチ」 をご紹介したのをご記憶にあるでしょうか?(2010. 10/8 ブログ 「スクールウォッチ」) http://ameblo.jp/pastime-jp/entry-10670768977.html




その時計は、あのブログを見ていらっしゃった若い男性にご購入いただいたのだが、、、その方にとっては、それが 「初めてのアンティークウォッチ」 ということだった。




半年ほど前、、、2つ目の時計に 「イギリスのミニッツリピーター」 を選ばれたその方の 「3つ目の時計」。 



それが、今回の依頼の品なのだ。




まずは、「ケースの設計・製作」 から取り掛かる予定。



同時に 「特大のサファイアクリスタル」 の手配に入る。



受け板の透かし彫りには、、、それ単体で、裕に2〜3週間は掛かるだろう。



そして、最後にムーブメントの徹底的な 「フルレストア」



かなりのプロジェクトになるのは間違いないが、、、うちの連中が、最も意気に感じるタイプの仕事だ。




「設計図」 も 「デザインスケッチ」 もないこの依頼品が、どんな時計に仕上がるか?



その結果は、おおよそ3ヶ月後のこのブログでご紹介する予定です。



ではでは、時計ファンの皆さん、お楽しみに!!

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posted by Masa’s Pastime at 17:58 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月03日

今週のブログに、 「オリンピック観戦による寝不足」 の話しを書いたが、 寝不足の原因がもう一つできた。



「工事による騒音」 



このところ数日、夜中にかなりの騒音がするようになったのだ。




「カーン、カーン」 「ドドドー」 「ザーザー」



ある晩、窓から外を覗くと、、、団地前の空き地に、ブルドーザーやダンプカーが入っている。



時計を見れば、既に夜の12時。



一瞬目を疑った。



公道ならいざ知らず、、、こんな時間に住宅地で工事をすることがあるのか?




「うるさいよー」



子供達が起きてきた。



我が家では余程のことがない限り寝室でエアコンを付けない。



当然窓は開いていて、、、余計にうるさい訳だ。



しかし、エアコンを付けて窓を閉めても、、、かなりうるさい。



一瞬現場に行って苦情を言おうと思ったが、止めておいた。



わざわざパジャマを着替えて下に降りるのが面倒だったし、、、どの道 「ほんの一時」 のことだと思ったのだ。




ところが、それは翌日も、そして翌々日も続いた。



私がオリンピックを見ていた 「明け方」 まで。



ここにきて、面倒臭がりの私もさすがに黙っていられなくなり、、、昨日の昼間、店から市役所に電話を掛けたのだ。




市役所の職員の応対は、とても誠実だった。



先方の話しでは、、、現場は 「都有地」 で国分寺市の管轄下にないから、市では現在何の工事が行われているのか全く分らない。



至急都に問い合わせして、状況を把握し次第連絡する、と言う。




30分後くらいで、市役所から電話が来た。



東京都に問い合わせたところ、現在、該当する場所では水道工事を行っているとのこと。



しかし、同様の苦情は何件かあり、、、先程、速やかに 「工事を中止」 するよう要請し、これが受け入れられた。



したがって、今日から先、工事が行われることはない筈だが、、、万一の場合は報告して欲しい、と。




「良かった。 これで一件落着。」



そう思って仕事に戻ったのも束の間、、、再び市役所から電話がきた。



都の方から急遽連絡があり、「やはり現場の工事は中止できない」 とこと。



理由を聞くと、、、現場は近隣の公道で行っている水道工事の 「資材置き場」 になっているからだという。



つまり、公道の水道工事は夜間に行わざるを得ないのだが、、、そうなると、その都度必要な 「資材の積み出し」 も夜間にならざるを得ない、という訳だ。



市の担当者は、 「多摩水道局」 が管轄している現場なので、、、詳しくはそちらに直接問い合わせをして欲しい、と電話番号を教えてくれた。




電話を掛けた 「多摩水道局」 の説明は、概ね市の担当者の説明と合致していた。



理屈は通っている。



確かにそうだろう。



水道工事は住民のために必要だし、、昼間にやれば交通の妨げになり、夜間にやらざるを得ない。



住民に必要な水道の為の 「道路工事」 があり、、、そのために必要な 「資材の積み出し」 がある。




いくらかの 「犠牲」 は、、、誰かが払わざるを得ないだろう。



しかし、その犠牲の 「程度」 は問題だ。



夜中から明け方まで、寝ている目の前で 「ガガー」 「カンカン」 とやられれば、、、普通の人間はそうそう眠れない。



これが一日や二日ならまだしも、、、来る日も来る日も続いたら、、?



これは 「いくらかの犠牲」 と言えるだろうか?




よしんばそれでも 「仕方がないのだ」 ということだったとして。



それほどの犠牲を強いることが分っているのであれば、、、せめて近隣の住民に通知し、あらかじめ理解を求めるくらいのことはするべきでないのか?



「配慮が足らなかった」 と詫びる先方。



しかし 「どうしても本日、翌日の作業は止められない」 という。



私は、以降2日間の作業に限っては受け入れることを約束したが、、、今後同様の工事が行われる場合に関しては、その予定を近隣の住民全員に事前に通知し、必ず承諾を得るよう求めて電話を切った。




作業台に戻り時計を組み立て始めて、、、思い当たることがあった。



みんなのために、誰かは我慢しなければならない、という状況。



深刻度には天地の差があるが、、。



日米の安保における、「普天間」 その他の米軍基地、、、そして原発の受け入れ等々。



我が団地前の夜間工事は、、、、これらと全く 「同種の問題」 なのであった。



posted by Masa’s Pastime at 16:59 | Comment(0) | 新着情報

2012年08月01日

この数日間、寝不足が続いている。




普段ロクにテレビを見ない私も、「オリンピック」 となるとついつい見入ってしまうのだが、、、開催地ロンドンと日本の時差は激しい。




観たいなぁ、と思う競技を夜中の一時過ぎに見終えたと思ったら、そのまま違う競技の中継が始まってスイッチを切れず、、、結局、朝になってテレビを付けたまま寝ていたりするわけだ。





さて、ご存知の通り、我が国にとっては残念な結果に終わっている競技が多い今回の五輪だが、、、それにしても、一人一人の選手は本当によく頑張っていると思う。




「この4年間、この日の為に全力で取り組んできた」 と言うのは勝った選手ばかりでなく、負けた選手も同じ。




皆が皆、全てを犠牲にして打ち込んできて、 それでも 「金メダル」 を取れるのは1人だけ。



これぞ 「勝負の世界の厳しさ」 とは言え、負けてガックリ肩を落とす選手を見ていると、、、本当に気の毒になる。



勿論、負けたからと言って、、、今までの努力が無駄な訳はない。



「参加することに意義がある」 というのは、単なる慰めではない筈だ。




そもそも一人の人間が、幼い頃から 「一つの目標」 に向かって休むことなく打ち込み続けるというのは、、、一体、どんなことだろうか?



柔道女子で金メダルを獲得した松本選手の小学生の頃の練習メニューでは、、、、腕立て伏せ 多い時で 「日に600回」 とあり、、、高校時代は、道場まで 「片道3時間」 掛けて、ランニングで通ったと言う。



周りの友達が楽しく遊んでいるのを横目で見ながら、、、歯を喰いしばって訓練に耐える。



当時のコーチから見ても、、「修行僧のよう」 と言わしめるほどだ。




こういうことが可能な人間でないと、勝つのは難しい、、いや実際にはそういう人間同士で戦うわけだから、、、それでもどちらか一方は 「敗者」 になってしまう。



そして、敗れた選手の多くはリベンジを誓い、、、4年後に向けて、更に地獄の鍛錬を続けるのだ!




これを、「時計師の修行」 に当てはめると、、、例えば、どんな感じになるか?



早朝、まずは徹底的な工具の手入れ、仕上げ。



そして、部品製作の実地・訓練。



どんな部品も 「一分の隙もない仕上がり」 が要求され、少しでも不完全なら、最初からやり直し。



それが終われば、超複雑時計等の分解・組み立て・調整。



どんな時計でも、「全く無駄のない動作」 で、最短の時間で完結できるように繰り返し、、、横でタイムを計測するコーチが、檄を飛ばす。




夜になれば、時計の設計理論を始め、物理、天文、数学など、時計に関わる全ての資料を読み漁り、、、深夜まで、研究、検証。



そして、これを 「相当年数」 休みなく続ける間、、、「コーヒー」 「酒」 「タバコ」 「夜遊び」 等、、、目や脳の働きの妨げになることや、手先の動きに悪影響を与える可能性のある一切のものを排除したとすると、、?



確かに、、、相当に 「腕の良い技術者」 が出来上がるかもしれない。




しかし残念ながら、、、私には到底出来ない。



現実的にこれでは仕事にならないのは勿論だが、、、仮にそうでなくても、絶対出来ない。



そもそも私のような凡人は、酒もタバコもコーヒーも夜遊びも大好きで、、、、おまけに飽きっぽい。



もっとも先述した 「松本選手」 が試合後のインタビューで答えた 「今一番食べたいもの」 は、「ビッグパフェ」 だったと言うから、、、こういった超人でも、好きなものがあるのは私と同じか。  



要は、「忍耐力」 「精神力」 の違い、ということになる。




人種や国籍に関係なく、自分には到底出来ないことをした人、或いはしている人。



そういう人がどんな人で、それぞれの分野でどんなレベルに到達するのか?



それを知りたくて、、、つい見続けてしまう。



「明日の仕事に響く」 と分っていても、、、やはり見てしまう。




ロンドン五輪は、まだまだ中盤。



私の寝不足は、、、当分続きそうなのだ。


posted by Masa’s Pastime at 18:30 | Comment(0) | 新着情報

2012年07月29日

その夜、ベイクドポテトに到着した私は、、、ちょっと見慣れない風景を目にした。




いつもなら普通にドアを開けて、そのまま店内に入る。



しかしこの日は、ドアの前に何人もの客が並んでいた。



近づくとブロンドの美女が立っていて、「$20お願いします。 今夜はゲストが出演しますから。」  とテーブルチャージを集めている。






「えーっ、そうなんだ?!」



レギュラーバンドが出演しないことを知った私は、、、完全にあてが外れてしまった。




彼らの音楽を聴きたくて、30分もポンコツを飛ばしてきたのに、、、。





「仕方ない。 じゃ、また来るよ」




そう言って踵を返し、駐車場に向かいかけたところ、、、背後から 「アナタ、きっと後悔するわよ!」 と美女の声。




振り返った私に 「今夜のゲストはちょっと大物なんだから、、。」 と悪戯っぽく微笑んでいる。




そして、そこから先の彼女の話しを聞いた私は、思わず$20を手渡し、、、夢遊病者のようにフラフラと店内に入ったのだった。





結局、その夜の私は 「ついていた」 のだろう。




何しろ、お気に入りのバンドがいなくてガッカリしたら、、、ゲストのミュージジャンは、高校生の頃に心酔しまくった 「ラリーカールトン」 だと言うのだ!



しかも双眼鏡持ってこなければ見えないような、大ホールでのコンサートではない。




演奏者の汗が掛かかってしまうような、スタジオのように小さな店でのライブで。



そして、あろうことか店内に戻ったブロンドの美女が私をが案内したのは、、、、最前列のテーブルだったのだ。





初めて真近に見る 「ラリー カールトン」 は、落ち着いた大人だった。



それもそのはず、、。



ニキビ面の私が彼のレコードを聴いていた頃からは、、、10年近くの時間が経っていたのだから。



そしてその違いは、、彼自身も自覚するものだったのだ。




「かつての私は、こんな風だったよね」



彼はそう言いながら、 まず 「若かりし頃」 のハイテンポなメロディを大袈裟に弾いてみせ、、、皆を笑わせた。



確かに、、、それこそが、私の知る 「ラリー カールトン」 だったのだ。




しかし、その後本格的な演奏に入ると、、、彼の音楽は大きく違っているのが分った。



一瞬私は、イメージの違いに戸惑ったが、時間の経過と共に、抵抗がなくなる。



いや、抵抗がなくなる、というより、、、彼の円熟した技術、無理のないスタイルに、その時の私は、何か安心感のようなものを感じたと言うべきか?




演奏後の彼は店内のバーのお客となり、立ったままビールを飲み出した。



誰彼構わず、皆と気さくに話しをしている。



演奏中、私が真ん前にいたせいか?、、それともその晩、「東洋人」 のお客が少なかったせいか?、、、彼は私にこう話しかけてきた。



「どうだった? 今夜は楽しんでもらえたかな?」



私は緊張しつつも、その夜のライブが最高であったこと、昔の彼も、今の彼も両方素晴らしいと思うことなどを話したが、、、その夜の彼のライブが、私にとって 「偶然」 だったことだけは内緒しておいた。



そして、礼を言いながら私が手を指し出すと、、、彼は満面の笑顔で、握り返してくれたのだ。





あの日からすると、25年後の未来。



YouTube では、、、若かりし頃の彼と、今現在の初老の彼、両方の 「ラリーさん」 がギターを弾いている。



頭の禿げ上がった初老の彼は、、、あの時とは別人のようだ。



そして、それを見ている私もまた、ヒゲに白髪の混じった中年になっている。




あのベイクドポテトの夜から数年後、、、自分のスタジオ 「Room 335」 で銃弾を受け、一時声帯の機能を失いながらも、驚異的なリハビリを経て復活したらしい。



その他、セッションを組んだミュージシャンとの音楽観の違い。



プロデューサーとの契約等の問題。



紆余曲折を経て、、、彼の音楽も、また大きく変っている。





つまり人間というものは、そういうものなのだろう。



赤ん坊がオギャーと生まれてから、段々と立ち上がり、歩きだし、そして話し出す。



身体が大きくなり、声が変り、ヒゲが生え、、、、そして成人してからは、やがて髪が白くなり、目が見えにくくなり、、腰が曲がってゆく。



この間、それぞれに色々なことがあり、、、身体の変化とともに、物の感じ方も変ってゆく。



「表現したいもの」 も 「感じるもの」 も、変ってゆくのは自然なことなのだ。




彼がギターを通して表現していた、若い頃の 「ラリー カールトン」



それを聴いて、感動していた高校生の私。



「変化」 を感じたベイクドポテトでのライブ。



そして、大きく変った今。



時間は、、、互いに同じだけ流れている。




時間の経過と共に、自然と変ってゆくもの。



そして、新たに見えてくるものがある。



懐メロを聴いて面白がっている小学生の娘にも、いずれ解る時がくるのだろう。



何故かちょっと淋しく思いながら、、、私は、パソコンの画面を消した。






(完)


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2012年07月27日

普段の私は、殆ど音楽ど聴くことがない。




「殆ど」 というのは、、、釣行の往復の車中で、眠気覚ましにCDを掛けることはあるから。




でも自分では、CDのプレイヤーもカセットデッキもウォークマンも持っていない。


元々、音があると聞いてしまう性質だからBGMも苦手で、、、パスタイムでも最小限にしている。



そんな私だが、10代初めから20代半ばくらいまでは人並みに音楽に興味があって、、、、家でギターをつま弾いては 「鳥が首を絞められたような声」 で歌ったりしていたのだ。





四半世紀前のロサンゼルス。




20代半ばだった私は、ある夜、北ハリウッドのはずれに向かって、ポンコツのハンドルを握っていた。




目指す先は、「ベイクドポテト」 という小さなライブハウス。





その名の通り、大きなベイクドポテトが名物の、、、小さくてアットホームな店。


毎日日替わりで違ったミュージジャンが出演するタイプの店ではなく、、、普段出演するのは専属のレギュラーバンド。




そして、時折ゲストが出演する日もある、といった感じだった。





しかし、そのレギュラーバンドが凄い。




リーダーのピアニストは、ミュージジャンというより 「年老いたレスラー」 といった風貌。


ところがその見た目とは裏腹に、、、非常に知的で繊細な旋律を奏でるのだ。




その他、トランペット、ベース、ドラム、、それぞれが皆一流で、尚且つ味のあるキャラクター揃い。



そして何よりも、個々の 「職人」 の研ぎ澄まされた技術が、、、曲の終盤に向けて見事に融合してゆく。



その感覚に、完全にシビレた。





ある時、たまたま知り合いに連れてこられた私は、このレギュラーバンドがすっかり気に入ってしまい、、、以後、バイト代を貯めては、せっせと彼らの演奏を聴きに行くようになっていたのだ。






(続く)


posted by Masa’s Pastime at 18:23 | Comment(0) | 新着情報

2012年07月25日

先日の夜遅く、長女が 「懐メロ」 を聴かせろ、とせがんできた。




どうやら学校で誰かから聞いてきたのか、、、リクエストは何と 「フィンガーファイブの、恋のダイヤル6700」 と 「左ト全(ヒダリボクゼン)の、子供と老人のポルカ」 


どちらも私が小学生の頃の歌だ!



これがご記憶にある方は少なくとも私と同年代、もしくはそれ以上のお年ということになるから、、、このブログを読んでいらっしゃる方の大半は、ご存じないのではないか、、、?





「フィンガーファイブ」 に関しては、確か当時小学校高学年だったボーカルの少年が私と同年代で、、、その上同じ 「東村山」 の小学校に通っているということだった。


大きなサングラスをかけて、とても格好良く見えた記憶がある。



「左ト全」 に関しては、もっと前だった筈。




私は、小学校低学年だったのではないか?




「ズビズバー」




かなりのお爺ちゃんだった氏のユニークな歌い出しが印象に強い、コメディータッチの歌だった。





こんな40年も前の歌を?と首を捻りながらもYouTubeで探すと、、、あったあった!




「リンリンリリン、リンリッリリンリン、リンリンリリン、リーリリリン、明日は卒業式だから〜」




こちらは 「恋のダイヤル6700」




「ズビズバー、パパパヤー、やめてケレ、やめてケレ、やめてケーレ、ゲバゲバ」




そしてこちらが 「子供と老人のポルカ」



私にとってはどちらも実に懐かしい曲で、、、面白がる長女と、何度も繰り返し聞いてしまった。




ひとしきり聴くと、、納得した長女は 「ズビズバー」 と口ずさみながら部屋から出て行った。



どうやら 「子供と老人のポルカ」 が特に気に入ったようだ。



一人になった私は、流れのまま 「懐かしの洋楽」 を探していたが、、、そこで、若き日の 「ラリーカールトン」 のギター演奏に行き着いたのだ。




高校生の頃。



彼のギターに心踊った。



初めて耳にしたのは 「ルーム335」



これは南カリフォルニアにあった、彼自身のスタジオの呼び名だ。



私の知る彼の音楽は、正確にはロックでもジャズでもブルースでもなく、、、たぶんこれら全てが融合した 「フュージョン」 というジャンルに入るのだろう。



一部の曲を除いて、基本的にボーカルはなし。



いわゆる 「インストロメンタル」 のギター演奏者だ。



当時の誰もがそうであったような 「長髪」 のミュージシャンらしい風貌。




しかし、YouTubeに映る若き日の氏の風貌は、、、私の 「あの日の記憶」 とかなりずれているのだ。






(続く)


posted by Masa’s Pastime at 12:54 | Comment(0) | 新着情報