その夜、ベイクドポテトに到着した私は、、、ちょっと見慣れない風景を目にした。
いつもなら普通にドアを開けて、そのまま店内に入る。
しかしこの日は、ドアの前に何人もの客が並んでいた。
近づくとブロンドの美女が立っていて、「$20お願いします。 今夜はゲストが出演しますから。」 とテーブルチャージを集めている。
「えーっ、そうなんだ?!」
レギュラーバンドが出演しないことを知った私は、、、完全にあてが外れてしまった。
彼らの音楽を聴きたくて、30分もポンコツを飛ばしてきたのに、、、。
「仕方ない。 じゃ、また来るよ」
そう言って踵を返し、駐車場に向かいかけたところ、、、背後から 「アナタ、きっと後悔するわよ!」 と美女の声。
振り返った私に 「今夜のゲストはちょっと大物なんだから、、。」 と悪戯っぽく微笑んでいる。
そして、そこから先の彼女の話しを聞いた私は、思わず$20を手渡し、、、夢遊病者のようにフラフラと店内に入ったのだった。
結局、その夜の私は 「ついていた」 のだろう。
何しろ、お気に入りのバンドがいなくてガッカリしたら、、、ゲストのミュージジャンは、高校生の頃に心酔しまくった 「ラリーカールトン」 だと言うのだ!
しかも双眼鏡持ってこなければ見えないような、大ホールでのコンサートではない。
演奏者の汗が掛かかってしまうような、スタジオのように小さな店でのライブで。
そして、あろうことか店内に戻ったブロンドの美女が私をが案内したのは、、、、最前列のテーブルだったのだ。
初めて真近に見る 「ラリー カールトン」 は、落ち着いた大人だった。
それもそのはず、、。
ニキビ面の私が彼のレコードを聴いていた頃からは、、、10年近くの時間が経っていたのだから。
そしてその違いは、、彼自身も自覚するものだったのだ。
「かつての私は、こんな風だったよね」
彼はそう言いながら、 まず 「若かりし頃」 のハイテンポなメロディを大袈裟に弾いてみせ、、、皆を笑わせた。
確かに、、、それこそが、私の知る 「ラリー カールトン」 だったのだ。
しかし、その後本格的な演奏に入ると、、、彼の音楽は大きく違っているのが分った。
一瞬私は、イメージの違いに戸惑ったが、時間の経過と共に、抵抗がなくなる。
いや、抵抗がなくなる、というより、、、彼の円熟した技術、無理のないスタイルに、その時の私は、何か安心感のようなものを感じたと言うべきか?
演奏後の彼は店内のバーのお客となり、立ったままビールを飲み出した。
誰彼構わず、皆と気さくに話しをしている。
演奏中、私が真ん前にいたせいか?、、それともその晩、「東洋人」 のお客が少なかったせいか?、、、彼は私にこう話しかけてきた。
「どうだった? 今夜は楽しんでもらえたかな?」
私は緊張しつつも、その夜のライブが最高であったこと、昔の彼も、今の彼も両方素晴らしいと思うことなどを話したが、、、その夜の彼のライブが、私にとって 「偶然」 だったことだけは内緒しておいた。
そして、礼を言いながら私が手を指し出すと、、、彼は満面の笑顔で、握り返してくれたのだ。
あの日からすると、25年後の未来。
YouTube では、、、若かりし頃の彼と、今現在の初老の彼、両方の 「ラリーさん」 がギターを弾いている。
頭の禿げ上がった初老の彼は、、、あの時とは別人のようだ。
そして、それを見ている私もまた、ヒゲに白髪の混じった中年になっている。
あのベイクドポテトの夜から数年後、、、自分のスタジオ 「Room 335」 で銃弾を受け、一時声帯の機能を失いながらも、驚異的なリハビリを経て復活したらしい。
その他、セッションを組んだミュージシャンとの音楽観の違い。
プロデューサーとの契約等の問題。
紆余曲折を経て、、、彼の音楽も、また大きく変っている。
つまり人間というものは、そういうものなのだろう。
赤ん坊がオギャーと生まれてから、段々と立ち上がり、歩きだし、そして話し出す。
身体が大きくなり、声が変り、ヒゲが生え、、、、そして成人してからは、やがて髪が白くなり、目が見えにくくなり、、腰が曲がってゆく。
この間、それぞれに色々なことがあり、、、身体の変化とともに、物の感じ方も変ってゆく。
「表現したいもの」 も 「感じるもの」 も、変ってゆくのは自然なことなのだ。
彼がギターを通して表現していた、若い頃の 「ラリー カールトン」
それを聴いて、感動していた高校生の私。
「変化」 を感じたベイクドポテトでのライブ。
そして、大きく変った今。
時間は、、、互いに同じだけ流れている。
時間の経過と共に、自然と変ってゆくもの。
そして、新たに見えてくるものがある。
懐メロを聴いて面白がっている小学生の娘にも、いずれ解る時がくるのだろう。
何故かちょっと淋しく思いながら、、、私は、パソコンの画面を消した。
(完)
いつもなら普通にドアを開けて、そのまま店内に入る。
しかしこの日は、ドアの前に何人もの客が並んでいた。
近づくとブロンドの美女が立っていて、「$20お願いします。 今夜はゲストが出演しますから。」 とテーブルチャージを集めている。
「えーっ、そうなんだ?!」
レギュラーバンドが出演しないことを知った私は、、、完全にあてが外れてしまった。
彼らの音楽を聴きたくて、30分もポンコツを飛ばしてきたのに、、、。
「仕方ない。 じゃ、また来るよ」
そう言って踵を返し、駐車場に向かいかけたところ、、、背後から 「アナタ、きっと後悔するわよ!」 と美女の声。
振り返った私に 「今夜のゲストはちょっと大物なんだから、、。」 と悪戯っぽく微笑んでいる。
そして、そこから先の彼女の話しを聞いた私は、思わず$20を手渡し、、、夢遊病者のようにフラフラと店内に入ったのだった。
結局、その夜の私は 「ついていた」 のだろう。
何しろ、お気に入りのバンドがいなくてガッカリしたら、、、ゲストのミュージジャンは、高校生の頃に心酔しまくった 「ラリーカールトン」 だと言うのだ!
しかも双眼鏡持ってこなければ見えないような、大ホールでのコンサートではない。
演奏者の汗が掛かかってしまうような、スタジオのように小さな店でのライブで。
そして、あろうことか店内に戻ったブロンドの美女が私をが案内したのは、、、、最前列のテーブルだったのだ。
初めて真近に見る 「ラリー カールトン」 は、落ち着いた大人だった。
それもそのはず、、。
ニキビ面の私が彼のレコードを聴いていた頃からは、、、10年近くの時間が経っていたのだから。
そしてその違いは、、彼自身も自覚するものだったのだ。
「かつての私は、こんな風だったよね」
彼はそう言いながら、 まず 「若かりし頃」 のハイテンポなメロディを大袈裟に弾いてみせ、、、皆を笑わせた。
確かに、、、それこそが、私の知る 「ラリー カールトン」 だったのだ。
しかし、その後本格的な演奏に入ると、、、彼の音楽は大きく違っているのが分った。
一瞬私は、イメージの違いに戸惑ったが、時間の経過と共に、抵抗がなくなる。
いや、抵抗がなくなる、というより、、、彼の円熟した技術、無理のないスタイルに、その時の私は、何か安心感のようなものを感じたと言うべきか?
演奏後の彼は店内のバーのお客となり、立ったままビールを飲み出した。
誰彼構わず、皆と気さくに話しをしている。
演奏中、私が真ん前にいたせいか?、、それともその晩、「東洋人」 のお客が少なかったせいか?、、、彼は私にこう話しかけてきた。
「どうだった? 今夜は楽しんでもらえたかな?」
私は緊張しつつも、その夜のライブが最高であったこと、昔の彼も、今の彼も両方素晴らしいと思うことなどを話したが、、、その夜の彼のライブが、私にとって 「偶然」 だったことだけは内緒しておいた。
そして、礼を言いながら私が手を指し出すと、、、彼は満面の笑顔で、握り返してくれたのだ。
あの日からすると、25年後の未来。
YouTube では、、、若かりし頃の彼と、今現在の初老の彼、両方の 「ラリーさん」 がギターを弾いている。
頭の禿げ上がった初老の彼は、、、あの時とは別人のようだ。
そして、それを見ている私もまた、ヒゲに白髪の混じった中年になっている。
あのベイクドポテトの夜から数年後、、、自分のスタジオ 「Room 335」 で銃弾を受け、一時声帯の機能を失いながらも、驚異的なリハビリを経て復活したらしい。
その他、セッションを組んだミュージシャンとの音楽観の違い。
プロデューサーとの契約等の問題。
紆余曲折を経て、、、彼の音楽も、また大きく変っている。
つまり人間というものは、そういうものなのだろう。
赤ん坊がオギャーと生まれてから、段々と立ち上がり、歩きだし、そして話し出す。
身体が大きくなり、声が変り、ヒゲが生え、、、、そして成人してからは、やがて髪が白くなり、目が見えにくくなり、、腰が曲がってゆく。
この間、それぞれに色々なことがあり、、、身体の変化とともに、物の感じ方も変ってゆく。
「表現したいもの」 も 「感じるもの」 も、変ってゆくのは自然なことなのだ。
彼がギターを通して表現していた、若い頃の 「ラリー カールトン」
それを聴いて、感動していた高校生の私。
「変化」 を感じたベイクドポテトでのライブ。
そして、大きく変った今。
時間は、、、互いに同じだけ流れている。
時間の経過と共に、自然と変ってゆくもの。
そして、新たに見えてくるものがある。
懐メロを聴いて面白がっている小学生の娘にも、いずれ解る時がくるのだろう。
何故かちょっと淋しく思いながら、、、私は、パソコンの画面を消した。
(完)