2012年05月30日

どのくらい時間が経ったか、、、10分くらいだったのか、1時間だったのか、、?



やっとのことで、真っ暗闇の遠くに光が見えた。



急いで明るい方に向かい、、、やっと森の外に出た私達3人。




道らしい道に出て、「I」 も 「Y」 も、少し安心したようだったが、、、私の心境は複雑だった。




そこはポツンポツンと街灯の灯った道で、確かに森の中より遥かにマシだったのだが、、、、私には全然記憶の無い道だったのだ。




でも、2人にはそうは言えない、、。




時間が気になる。



きっともう時間も遅いだろうし、、、とにかく少しでも早く知っている道に出たい一心だった。




「こっちだよ」



結局私はそのまま知っている振りを続け、自転車を押して歩き続けた。




大分歩いたが、、、いつまでたっても、「知っている道」 は出てこなかった。



今になって思えば、それは貯水池に沿って走っている細い道路で、私の向かっていたのは自分達の家と正反対だったから、、、、知っている道など出てきようがなかったのだ。




更に歩き続けると、、、困ったことに 「Y」 がグズリ始めた。



「もう歩きたくない」 とベソをかいている。



「こんな遅くなったらオヤジに怒られるよー。 早く帰りてェよー」



「I」 も怯えている。




道端に座り込んでしまった 「Y」 の傍に寄り、3人ともしばらく途方に暮れていると、、、やがて1台の車が通り掛かった。



その車は、急にスピードを落としたと思ったら路肩の私達の横にノロノロと近付いてやがて止まり、、、ドアを開けて一人のオジサンが出てきたのだ。



「オイ、こんな遅くに大丈夫か?」 とオジサン。



「僕達は大丈夫だけど、でもこの子がもう歩けないって言うんです」 おそらく私はそんな風に答えたのだろう。



すると 「Y」 を見たオジサンは、ビックリしたように言った。



「あれっ!? 君はAさんの息子さんじゃないか?」



「Y」 の父親は警察官だったのだが、、、偶然にもそのオジサンは、何らかの知り合いだと言う。



しかし、「Y」 はオジサンを知らないようだ、、。



彼は、私達がどこに向かっているのか?、なんでこんな時間にこんなところを歩いているのか?を私に聞くと、何とか私達の自転車を車に積めないかやってみたりしていたが、、、それが無理だと分ると、結局 「Y」 だけを車に乗せて、家まで送って行くことにしたのだった。




幼心に不安はあった。



変な人じゃないだろうか?



「Y」 が誘拐されるんじゃないか?



しかし、オジサンの言う 「Aさん」 は本当に 「Y」 の父親の名前だったし、見た感じも 「良い人」 そうだったから、、、、最終的に、私は同意したのだ。



「こっちの方に行くんだよー!」



「Y」 を乗せたそのオジサンは、走り出した車から腕を出して進むべき方角を念押ししてくれたが、、、それはさっきまで私が2人を 「先導」 していたのと反対向きだった。




今考えると、、、ここで私の最も悪い面が出た、と言える。



さっきまで 「こっちだ」 と2人に言い続けていた私は、、、結果的に自分の間違いを指摘され、意地になってしまったのだ。



車が見えなくなると、自転車に跨った私は 「I」 に言った。



「自転車ならこっちの方が近いんだ」




こっちに行っても、きっとすぐに知っている道は出てくる。 



それに今度は自転車だから早い。



安全よりも自分の体面にこだわった私は無理にそう考え、、、 「間違った道」 に向けて自転車を漕ぎ出してしまった。




どういう訳だか、、、「I」 は黙ってついてきた。





(続く)


posted by Masa’s Pastime at 16:56 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月25日

一般に、年を取ると寝付きが悪くなるという。



そう言えば、昔うちの婆さんもよく夜中に起き出して縫い物なんかしていた。



普段は寝床に入れば気絶するように寝ている私も、、、たまに何かの拍子で眠れないことがある。





そんな時には、何故か遠い昔の事を思い出す。



大体は苦い経験。



そして、そのうちそんな記憶が後悔や羞恥を伴って蘇り、、、、結局余計に眠れなくなるのだ。




何日か前もそうだった。




疲れ切っていて結構早くに床に着いたら、、、、夜中の2時過ぎに、パチッと目が覚めたのだ。




退屈しのぎにタバコを吸っても本を読んでもどうにもならず、、、、目をつぶってじっとしているうち、頭に浮かんだのは幼少の記憶だった。





それは40数年前の事。




当時小学校低学年だった私は、狭山貯水池近くの 「たっちゃん池」 に向かって自転車を漕いでいた。




「たっちゃん池」 は、貯水池近くの森の中にある小さな池。



本当は 「やけべ池」 という名前らしいが、ある時、たっちゃんという男の子がその池で溺れて亡くなってから 「たっちゃん池」 と呼ばれるように、、。



なんでも池の底は 「すり鉢」 のようになっていて、、、ちょっと入ると 「引き込まれる」



大人たちからそんな風に聞いていて、ちょっと怖いイメージの池だった。






その日の相棒は、幼なじみの 「I」 と 「Y」




近所の魚屋の息子だった 「I」 は私と同い年だが、際立って身体が大きく、力も強かった。




「Y」 はすぐ何軒か隣に住んでいた同級生の弟。




2つ3つ年下だったから、当時はまだ小学校にあがっていなかった筈だ。





池に向かった目的はなんだったのか、、、それから、何故その日に限っていつも私と一緒だった 「Yの兄」 がいなかったのかは思い出せない。




普段の私なら間違いなく 「釣りザオ持参」 だが、、、釣りをしない 「I」 と 「Y」 が一緒だったその日は、珍しく手ぶらだった。




もしかすると、まだたっちゃん池に行ったことがない 「Y」 を連れて行ってやろうと、年上の私達に兄貴ぶった気持ちがあったのかもしれない。





私達2人は自転車だったが、、、まだ自転車に乗れない 「Y」 は、ランニングシャツに半ズボンで駆けてきた。




たっちゃん池までは自転車なら30分位の距離だが、、、当然 駆けっこの 「Y」 は遅れがちになる。



その度、2人は 「Y」 が追いつくのを止まって待つ。



そんな風にしていたから、、、、思ったより時間が掛かった。




結局 「たっちゃん池」 に着いた時には既に夕方になっていて、、、私達3人は、夕暮れの中を慌てて帰ろうとしたのだった。




(続く)


posted by Masa’s Pastime at 13:53 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月23日

日曜日の夜は、完全に失敗した。




いつもなら早々に帰宅して釣りに出掛けるところだが、、、翌日の静岡県伊東市の予報は 「曇りのち雨」




おまけに午後からは東の風が強まるとのこと。




これでは 「金環日食」 が見れないばかりか、、、釣りもダメ。




そんなことで8時過ぎに仕事を終え、、ヤケクソ気味に 「ハモニカ横丁」 で飲んでしまったのだ。





もっとも翌日は休みだし、飲むこと自体に問題はなかった。




問題なのは、その程度。




普段より時間も早く、最初は適当な時間に電車に乗ろうと思っていた。




だけど、その日は何かとムシャクシャとすることもあり、一軒が二軒、そして二軒が三軒目に入った頃には、、、終電どころか、既に夜が明けていたのだ。




気がつけば店はカンバン。



勘定を済ませて重い身体を引き摺り、、、、電車に乗ったのは6時くらいだったか。




うちに着くと、長女は既に起きていた。



もうじき友達数人がうちに集まり、 「日食の観測会」 をやるという話しだったのだ。



「父ちゃん、もうすぐ始まるよ」



長女にそう言われるも、、、一睡もしてない上に酔っ払っている私は、「今日は無理無理。 曇りだから見えない」 と、寝床に倒れた。 



「そんなことなさそうだけど、、。 じゃ始まったら起こすからねっ!!」



「ああ、うん。  zzzzz−−−」




そして、おそらくそれから2〜30分後、、、、「早く、早く。 もう始まってるから」



私は長女に揺り起こされた。



ボーっとした頭のまま何とか寝床から這い出て、、、、フラフラとリビングに泳ぎ出る。



顔見知りの娘の同級生2人が、寝ボケた私の顔を見てクスクス笑っていたのは憶えている。



しかし、半ば強制的に手渡された色眼鏡を掛けてみた太陽がどんな様子だったか?、、、あまりハッキリしない。



結局、私はあまりに眠すぎてそのまま寝床に戻り、月曜の昼過ぎまで寝てしまったのだ。



後で娘達に聞いたところによると、、、どうやら私の予想とは裏腹に、「金環日食」 はほぼ完全に観測できたらしい。



少なくとも、西国分寺の我が家では、、。




東京での次のチャンスは数百年後、と言われる 「金環日食」



「父ちゃん、もうチャンスないねー。残念でしたー。」 と娘に言われ、、、「フン。 けど皆既日食はあるらしいからな」 と強がるのが精一杯。



実際のところ 「ダメ」 と決めつけずにちゃんと帰っていれば良かった、と、、、ちょっぴり後悔したのだった。


posted by Masa’s Pastime at 17:29 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月18日

先日、小学校に上がったばかりの次女が、ようやっと自転車の練習を始めた。



周りの子達や長女は幼稚園の頃には自転車に乗っていたが、、、何故か次女は興味を示さなかった。



いや、補助を付けた自転車は乗っていたことがあったが、、、いつの間にか放りっぱなしに。



それが、最近自分から 「乗れるようになりたい」 と言い出したのだ。




これが意外と難しい。



後ろから自転車を支えてやって、少しづつ手を離していくが、、、すぐに怖がってブレーキを握ってしまう。



「大丈夫だから、心配ないから」 となだめすかしても、、、「怖い」



思い切って勢いをつけて、とも思うが、、、、長女の時にはそれをやって思いっきり顔面から地面に倒れこんでしまったことを思い出した。



幸い大きなヘルメットが身代わりになって事なきを得たが、、、そうでなかったらと思うと、無理は出来ない。



そのうち、ずうっとサドルに跨ったまま足を着いていた次女は、、、「お尻が痛い」



結局私と練習したその日は、1時間ちょっとで 「友達と遊びに行くー」 となってしまった。




何故出来ないのだろうか?



当たり前に出来ることは、、、かえって教えるのが難しい。



考えてみると、似たようなことは身の回りに溢れている。



一旦出来るようになると 「何でもないこと」 なのに、、、出来ない時には 「とても出来そうにないこと」 



そう言えば 「時計の修理」 も、昔の私にとってはそんなことの一つだったのだ。




人間は、自分達が思っている以上に 「出来る」 動物なのではないか?



とても出来ない、とハナから決めて掛かっているが、、、何らかのきっかけで本気になる。



すると、思っていた以上に出来る。



そんな感じか。




私が、とても出来そうにない時計の修理を始めたのにも、きっかけがあった。



何度も何度も修理に出しているのに一向に直らない時計の裏ブタをヤケクソ気味に開けてみたら、、、、機械は明らかに真っ黒け。



素人目にも、真剣に手入れしようとした形跡はなかった。



仕方なく別の職人さんにお願いしたが、、、結果的には変らない。



再度お願いにあがったところ、、、老時計師曰く 「この時計は私と同じ。 もうお爺ちゃんだから、少々休んだりしても仕方ないよ。 そのまま大事にしてあげてね。」 




本当にそうなのか?



どんなに頑張っても直らないのか?



そもそもは、それが知りたくて本気になったのだ。




あれは忘れもしない、1930年頃のスイス製の腕時計(Gruen)。



今にになってみれば、実際には 「わけなく直せる時計」 だ。



でも、、、あの時直らなくて良かったのだ、と思う。



でなければ、その後も販売した時計の整備はずっーと 「人任せ」 にしていただろうし、、、店も無くなっていたかもしれないから。




昨晩、うちに帰るとカミさんが一言。



「MMが自転車乗れるようになったよ!」



どうやら昨日の昼間になって、、、急に乗れるようになったらしい。



夜更かしの長女も部屋から出てきた。



「MMねー、まだ曲がれないんだけど、、、真っ直ぐなら自分で漕いでずっーと行けるよ」




乗れた瞬間に立ち会えなかったのはちょっと残念だったが、、、まあこれで一安心。



直にその辺を乗り回すようになるだろう。



きっとこの間まで 「乗れなかったこと」 すら忘れてしまうかもしれない、、。



いつかその時の気持ちを聞いてみよう、と思いながら、寝室のドアをそーっと開ける。



布団の上で大の字になった次女は、、、、少しお姉ちゃんぽくなったように見えた。


posted by Masa’s Pastime at 14:47 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月16日

少々前に 「ギロシュダイアル」 を紹介したが、先日新たなパターンの第2弾が完成した。




今回は文字盤中央部分の 「ギロシュのパターン」 を若干変えた他、、、、ロゴの文字も 「PASTIME TOKYO」 から 「MASA'S PASTIME」 に変更し、字体ももう少しオーセンテイックなタイプに。



また 「TOKYO」 と  「シリアルナンバー」 の表記は、別枠の中に並べて彫った。







使用したムーブメントは、ウオルサムの 「リバーサイドマキシマ」




言わずと知れた、同社0サイズムーブメントの最高峰モデル。




テンプのキャップジュエル(受け石)には、ルビーではなくダイアモンドを使用した贅沢な仕様だ。




実のところ、この時計は先月まで以前製作した文字盤付きで店頭にあったものだが、、、新たな文字盤を試したくなって一旦店頭から取り下げ、、、改めて文字盤を作り直したのだ。





話しは変って、、、遅れていた 「12サイズのカスタムウォッチ」 の方だが、辻本は現在こちらの方のギロシュダイアルの製作に取り掛かっている。



文字盤の絶対的寸法が大きくなる分、こっちは同じパターンでも、かなりインパクトの強いものになる筈だ。



完成まで、あと数日は要する見込みだが、、、良いものが出来たらまた改めてご紹介したい。




一方、12サイズ腕時計のケースの方は、今日から担当の岩田が 「本製作」 に入った。



今まで数多く作ってきた試作ケースは皆 「真鍮」 だったり 「ステンレス」 だったりしたのだが、「本製作」 では、「ドーナッツ状の巨大な銀塊」 を削ることになる。



簡単に考えると、材料が変っても同じことをすればいいようにも思えるが、、、これがそうはいかない。



金属によって、刃物の適切な 「回転数」 や 「送り速度・方向」 は違うし、、、銀のような比較的柔らかい材料の場合は、チャッキング(材料の固定)にも工夫が要る。



また、一般の工業製品に使用されることのない銀の場合、刃物メーカーにも参考になるデータがなく、、、実際にテストピースで色々試しながら 「独自のデータ」 を作る必要があった。




万一仕上がりが悪ければ、高価な銀塊は 「ただの銀クズ」 になる。



だから、岩田にすると結構気を使う仕事になるが、、、まあ 「お預かりしている時計」 の修理作業と違って、こちらは所詮 「カネの問題」。



最終的には、私が我慢すれば済むことなのだ。




いずれにしても 「ケース」 と 「文字盤」 は製作に入り 、、、肝心の 「ムーブメント」 もそれなりに揃った。



後は、、、来週あたりに予定された、「特注のサファイアクリスタル」 の納品を待つばかり。



当初の予定からすると大幅に遅れてしまったが、、、何とかもう一歩、のところに来ているのだ。

懐中時計 東京 腕時計 ギョーシェダイアル

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posted by Masa’s Pastime at 13:55 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月13日

長いこと使ってきた 「キズミ」 が壊れた。



この12年ほど毎日使い続けてきたものが、、気付いたら割れてしまっていたのだ。




目に嵌める本体の部分は、べっ甲風のセルロイド。



透明な部分と茶色い部分が、まだら模様になっているタイプ。



一般的な黒いプラスティックのものと比較すると周りから適度に光が入って視野が明るく、、、、重量も極めて軽いから使い心地が良かった。




急遽、一般的な黒いものを使い始めたが、、、どうにも具合が悪い。



顔に当てる開口部の直径が大きすぎる上にちょっと重いから、、、、分解・組み立ての作業中に 「ポロっと」 落ちてしまうのだ。



「目からウロコ」 ならぬ 「目からキズミ」 ?



キズミに針金状のホルダーを付け、頭に引っ掛けているうちの連中には問題がないようだが、、、直接目に嵌める私には、非常に具合が悪い。




「キズミ」 は、時計屋が使う道具の中で最も使用頻度が高いもの。



普段は 「使っていること」 すら意識していない、体の一部のようなものなのだ。



仕方ないから、ローズウッドで出来た市販品を買って、好みの寸法まで開口部を削り落とすことにした。




壊れたキズミは、12年ほど前、ある老時計師から引き継いだもの。



いや、、「引き継いだ」 というのは、少々不正確か。



生前知ることのなかったその人は、同じ 「井の頭通り沿い」 で長年時計店を商っていたようだ。




ある日、近所の骨董屋のオヤジがヌーッと店に入ってきた。



見上げるような大男が、両手にいくつもの腕時計を持っている。



「これ、みんな修理して」 と彼。



「初心出しでもあったの?」 と私。



ちなみに 「初心(うぶ)出し」 とは、、、業界用語で、長年手付かずの素人さんの持ち物を一切合財買取りすることを言う。




彼は、興奮気味にまくしたてた。



「この先の前進座の近くでずーっと時計屋をやってたジイさんが、亡くなったんだよ。 そんでもって遺族から頼まれて、時計や貴金属を引き取ってきたんだ。 まだまだたくさんあったよー。 あっ、そうだ。 時計の修理道具や材料みたいのは俺いらないからそのままにしてきたけど、あんた、要るなら紹介するから見に行けば? 」



ということで早速、岩田と2人で見に行ったのだ。




その古い時計店には、材料や道具が確かに色々あった。

 

腕時計の交換用部品や、懐中時計用のガラスのセット。



その他大量のゼンマイや小道具類、、、皮バンド等。



そして、部品が飛んでいってしまわないようガラスの風防を取り付けた手作りの修理台の上には、、、あたかもつい先日まで使っていたかのように、そのキズミが置いてあったのだ。




つまりそのキズミは私が12年ほど使う前にも、おそらく相当長いこと愛用されていたことになる。



そう考えると、よくもったものだと思うし、充分に寿命をまっとうした、と言えるだろう。




何千個もの時計を見てきた、このキズミ。



本当に具合が良かったんだが、、。



どうやら新しいキズミに慣れるまでには、、、、まだまだ時間が掛かりそうだ。

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posted by Masa’s Pastime at 13:22 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月11日

お気に入りのカバンが、いよいよくたびれてきた。




もうこの7〜8年ほどこればかり持って歩いているせいで、、、4年ほど前に取り替えてもらった取っ手が、真っ黒けっけになっている。



一体どんだけ汚い手をしているのだ、と言われそうなほど。



それに巻いてある皮は、切れかけている。





しかし弱った。




このお気に入りのカバンは、革職人になったかつてのダイビング屋時代の後輩の 「K君」 にこしらえてもらったものなので、前回も彼に頼んで取っ手を作り直してもらった。



しかし3年ほど前に、彼はある鞄メーカーのタイ工場を立ち上げるべく、一人バンコクに渡ったのだ。




先日、久し振りに店を訪ねてきた彼に聞いたところ、、、、現地で立ち上げた工場の運営は極めて好調で、現在は従業員100人を越える規模に急成長しているとのこと。




知人としては、純粋に嬉しい。



何よりK君は、どんなことでも頼めばイヤとは言わない 「義理堅さと根性」 そして裏表の無い 「純真な心」 を持った男だったから、、、私だけでなく、周りの連中も陰ながら応援していたのだ。



しかしさすがの私も、そんな多忙極まりない彼に今更 「取っ手を作ってくれ」 と頼む気にはなれない。




何しろ日本に残した幼な子と愛妻にでさえ、年に1〜2度しか会いに帰れない忙しさだと言うのだから、、。





私は持ち物でも食べ物でも人付き合いでも、一度気に入ると 「ずーっとそのまま」 のタイプ。




だから、出来ることならこのカバンもまだ使い続けたい。




もっとも、方法がない訳ではない。




パスタイムのほど近くには、私の財布や名刺入れ、それから懐中時計の革ケースや店の伝票入れを作ってもらった革細工の店がある。



そこの店主のYさんは気さくな人だから、「取っ手を作って」 と頼めば作ってくれるように思う。




しかし、これが頼めないのだ。



何故なら、Yさんはオーダーで物を作ったり、手作りしたものを売ったりしてはいるが、、、修理屋ではないから。




他所で作ったカバンを持ち込んで 「取っ手だけ作って欲しい」 と言えば、、、顔は笑っていても、内心嬉しいわけはない。



この辺は、職人同士だけによく分る。



分っているのに分らない振りをするのは、苦手なのだ。




そんなこんなで、、、とりあえず当面このままで我慢することに。



まあ汚いのは苦手じゃないし。



それに、どこか知らないところに持って行って 「取って付けた」 ような取っ手を付けるのも、、、「とっても」 イヤだから。




そろそろ、お後がよろしいようで、、。

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2012年05月09日

さてさて 「運試し」 とばかりに勇んで出掛けた伊豆釣行だったが、、、幸い地震や津波に遭遇することはなく、こうして無事帰還した。




一方で、増大した月の引力の影響で爆釣したかと言えば、それもない。




合計すると20匹以上の 「サメの猛攻」 に苦戦したが、、、これはいつものこと。



終わってみれば、いつもと変わらぬ 「地球に優しい?」 そこそこの釣果だったのだ。





確かに 「潮の流れ」 は激しかった。




場所によってはザーザーと川のように流れ、風とぶつかって白波が立っているようなところもあったし。




ただそれも、 「普段では有り得ない」 と言うほどではなくて、、、まあ普通に 「今日はえらく潮が早かったなー」   というレベルだったと言える。





ちなみに、この日 「いつも通りの釣果」 に終わったのは私だけではない。



港に戻って話しをした顔見知りの連中も、「タイは割と良かったよ」 「イカはまあまあ」 から 「シブいねー」 とか 「このあたりにはもう魚居ねぇ〜よ」 と、、、、まあ言ってみれば、いつも通りの様子。




結果から言うと、、、少なくとも私のホームグラウンドである伊東界隈では、「スーパームーンが魚釣りに与えた影響」 は確認出来なかったのだ。





しかし、、、奇しくも私が釣行に向けてワクワクしていたその頃、茨城県を襲ったは凄まじい竜巻はどうだろう?



この 「国内では史上最大級の竜巻」 は、単なる偶然なのだろうか?




もっとも、スーパームーンは国内だけではなくて地球規模の話しだから、、、その影響は、世界的な異常気象となって現れる筈だが。



ただ、スマトラや東北沖の地震も 「スーパームーンの当日」 ではなく、数日〜1週間ほどの前後があったようだが、、、。




ん、? 待てよ。



ということは、もしかして今週はダメでも、、、、来週になって 「爆釣」 するかもしれない?!



不謹慎にも、「釣りバカ」 はそんな風に期待してしまうのだ。

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2012年05月06日

昨夜、ハモニカ横丁の 「バナナ・バー」 での会話。



店長 「マサさん、今日月見ましたか?」 



「エッ、月? いいや、何で?」 と私。



「スーパームーンっすよー、知らないんすか?」



「スーパームーン? 何それ?」



「今夜から明日にかけて、月が地球に最接近するんすよ。 月がいつもの1.3倍くらいに見えるらしいですよ」



「へー、、。 そうなんだ。 全然知らなかった、、。」




てなことで、今朝 店に来てからネットで調べると、、、どうやら、月が 「19年ぶりの接近」 を見せているらしい。



まあ、月がいつもより大きく見えるのは結構なことだが、、、更に調べてみると、地球が受ける月の引力が増大するせいで、地震や嵐、火山の噴火などが発生する可能性があるとしている情報もあった。



実は、今回ほどではないにしろ、月の接近は去年もあったらしいのだが、、、、それはちょうど東北沖地震の数日前だったり、スマトラ地震の前後も似たような状況だったりした、とのこと。



もっとも、NASAではこの影響を完全に否定しているし、実際には偶然の一致なのだろうが、、、地震に関しては、タイミングがタイミングだけに、多少なりとも 「気を付けようかな」 くらいの気持ちにはなる。




まあ、天災への影響は科学者に任せるとして、ハッキリしていることもある。



月の引力の影響が大きくなれば、、、、海の水が引っ張られる力は強くなるのだ。



元々、満月や新月の時は 「大潮」 だから、潮の干満の差は大きくなるのだが、月の位置が近くなれば、その影響は更に大きくなるわけで、、、潮の流れ・動きが、極めて激しくなる可能性が高い筈だ。




海釣りをする人には馴染みのある話だろうが、、、一般に 「潮が良く動く時は魚がよく釣れる」 と言われる。



勿論、魚の捕食活動にはこの他にも色々な条件が影響するだろうし、鳴門海峡のような場所では潮の流れが速過ぎると逆効果なようだが、、、自分の経験から言うと、 「潮が全く流れない」 時は、あまり釣果に恵まれた試しがないのは確か。




さてさて、、、うまいことに、明日、明後日はパスタイムの定休日。



少々風が強いながらも、天気はまあまあな予報だし。



海沿いの国道を走っていて地震に遭い、、、海に転落するのか?



はたまた潮が流れまくって、かつて経験が無いほどの 「爆釣」 に遭遇するのか?



今夜から一人 「運試し」 に行って来るつもりなのだ。


posted by Masa’s Pastime at 13:35 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月02日

昨日、久しぶりに寿司パーティーをやった。




きっかけは、フランクフルトから休暇で帰って来ている義妹を交えての、カミさんとの会話。





「まったく、なんでそんにいつもイカ、イカ言うほどイカ好きなのか分かんない。 イカなんてこれから一生食べられなくなっても悲しくないけど、、。」 とカミさん。



「私はよく分からない。 そんなに美味しいイカを食べたことないからかもしれないけど、、」 と 義妹。




しかし、、、2日と空けずにイカを食べる 「イカ気違い」 の私にとっては、黙っていられない話し。



よし、こうなったら、義妹の居るうちに何が何でも美味いイカをご馳走してやろう、と密かに意気込んだのだった。





翌日火曜日、いつものように、角上市場に行った。




「いいイカ」 があるかどうかは、このところ数日の 「漁の出来」 次第。




だけどこの間、吉祥寺 「魚吟」 のタケさんから 「今年はヤリがいいですよ」 と聞いていたので、、、それを期待していたのだ。





店内に飛び込んだ私が貝やエビの売り場を通り過ぎ、イカ台の所に来ると、、、あるはあるは、まさしく立派な特大のヤリイカが、トロバコに詰まっているではないか!




それに、その横にはこれも結構なサイズの 「剣先イカ」 や 「スミイカ」 も並んでいる。




「これを買わずして何を買う」 とばかりに 「特大パラソル級」 のヤリイカを2ハイ、剣先イカを4ハイ確保した私は、、、その後余裕を持って他の寿司ネタを物色し、満足してうちに戻ったのだ。





ヤリイカは、いつもより念入りに薄皮を挽いて削ぎ切りにし、エンペラ、ゲソを含めて全て刺身に。



剣先イカは、刺身にした一ハイの以外は、カミさんが大根と一緒に煮た。





それぞれが自分で巻く手巻き寿司は、概ね好評だったが、、、私の興味はイカのことばかり。




私同様にイカ気違いの子供達は、最初こそ何とか 「ヤリイカと剣先イカの味の違い」 を識別しようと目をつむって交互に味わっていたが、、、気が済むと、その後はうどんかそうめんのように猛烈な勢いでパクついた。



しかし、義妹や義母、それからカミさんは?



「これは旨いぞ!」 とか 「どうだ、旨いだろ?」 「絶対旨くない訳がない!」 などとやられたら食欲もなくなるし、、、実際それほどでなくとも、気を遣って 「美味しい」 となるのは分っている。



だから極力余計なことは言わずに、ビールやワインをやりつつ平然を装っていたのだが、、、どうやら、それなりに美味しく食べてもらえたようだった。



何より、私に全く気を遣うことのないカミさんの 「美味しい」 という声も聞こえたし。




ワインが空になった頃、キハダマグロ、サーモン、そしてヒラメやホタテが少しずつ残る中、、、、大皿に盛ったヤリイカ、小皿に乗った剣先イカは綺麗になくなった。




そして今朝、、、タッパーに入った残り物の刺身をおかずに飯を頬張る私に 「こんなに売れるなら、イカもう少しあっても良かったかもね」 というカミさんの一言。



こうして、、、、我が家において 「イカ」 は改めて市民権を得ることになったのだ。


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