先日、小学校に上がったばかりの次女が、ようやっと自転車の練習を始めた。
周りの子達や長女は幼稚園の頃には自転車に乗っていたが、、、何故か次女は興味を示さなかった。
いや、補助を付けた自転車は乗っていたことがあったが、、、いつの間にか放りっぱなしに。
それが、最近自分から 「乗れるようになりたい」 と言い出したのだ。
これが意外と難しい。
後ろから自転車を支えてやって、少しづつ手を離していくが、、、すぐに怖がってブレーキを握ってしまう。
「大丈夫だから、心配ないから」 となだめすかしても、、、「怖い」
思い切って勢いをつけて、とも思うが、、、、長女の時にはそれをやって思いっきり顔面から地面に倒れこんでしまったことを思い出した。
幸い大きなヘルメットが身代わりになって事なきを得たが、、、そうでなかったらと思うと、無理は出来ない。
そのうち、ずうっとサドルに跨ったまま足を着いていた次女は、、、「お尻が痛い」
結局私と練習したその日は、1時間ちょっとで 「友達と遊びに行くー」 となってしまった。
何故出来ないのだろうか?
当たり前に出来ることは、、、かえって教えるのが難しい。
考えてみると、似たようなことは身の回りに溢れている。
一旦出来るようになると 「何でもないこと」 なのに、、、出来ない時には 「とても出来そうにないこと」
そう言えば 「時計の修理」 も、昔の私にとってはそんなことの一つだったのだ。
人間は、自分達が思っている以上に 「出来る」 動物なのではないか?
とても出来ない、とハナから決めて掛かっているが、、、何らかのきっかけで本気になる。
すると、思っていた以上に出来る。
そんな感じか。
私が、とても出来そうにない時計の修理を始めたのにも、きっかけがあった。
何度も何度も修理に出しているのに一向に直らない時計の裏ブタをヤケクソ気味に開けてみたら、、、、機械は明らかに真っ黒け。
素人目にも、真剣に手入れしようとした形跡はなかった。
仕方なく別の職人さんにお願いしたが、、、結果的には変らない。
再度お願いにあがったところ、、、老時計師曰く 「この時計は私と同じ。 もうお爺ちゃんだから、少々休んだりしても仕方ないよ。 そのまま大事にしてあげてね。」
本当にそうなのか?
どんなに頑張っても直らないのか?
そもそもは、それが知りたくて本気になったのだ。
あれは忘れもしない、1930年頃のスイス製の腕時計(Gruen)。
今にになってみれば、実際には 「わけなく直せる時計」 だ。
でも、、、あの時直らなくて良かったのだ、と思う。
でなければ、その後も販売した時計の整備はずっーと 「人任せ」 にしていただろうし、、、店も無くなっていたかもしれないから。
昨晩、うちに帰るとカミさんが一言。
「MMが自転車乗れるようになったよ!」
どうやら昨日の昼間になって、、、急に乗れるようになったらしい。
夜更かしの長女も部屋から出てきた。
「MMねー、まだ曲がれないんだけど、、、真っ直ぐなら自分で漕いでずっーと行けるよ」
乗れた瞬間に立ち会えなかったのはちょっと残念だったが、、、まあこれで一安心。
直にその辺を乗り回すようになるだろう。
きっとこの間まで 「乗れなかったこと」 すら忘れてしまうかもしれない、、。
いつかその時の気持ちを聞いてみよう、と思いながら、寝室のドアをそーっと開ける。
布団の上で大の字になった次女は、、、、少しお姉ちゃんぽくなったように見えた。
周りの子達や長女は幼稚園の頃には自転車に乗っていたが、、、何故か次女は興味を示さなかった。
いや、補助を付けた自転車は乗っていたことがあったが、、、いつの間にか放りっぱなしに。
それが、最近自分から 「乗れるようになりたい」 と言い出したのだ。
これが意外と難しい。
後ろから自転車を支えてやって、少しづつ手を離していくが、、、すぐに怖がってブレーキを握ってしまう。
「大丈夫だから、心配ないから」 となだめすかしても、、、「怖い」
思い切って勢いをつけて、とも思うが、、、、長女の時にはそれをやって思いっきり顔面から地面に倒れこんでしまったことを思い出した。
幸い大きなヘルメットが身代わりになって事なきを得たが、、、そうでなかったらと思うと、無理は出来ない。
そのうち、ずうっとサドルに跨ったまま足を着いていた次女は、、、「お尻が痛い」
結局私と練習したその日は、1時間ちょっとで 「友達と遊びに行くー」 となってしまった。
何故出来ないのだろうか?
当たり前に出来ることは、、、かえって教えるのが難しい。
考えてみると、似たようなことは身の回りに溢れている。
一旦出来るようになると 「何でもないこと」 なのに、、、出来ない時には 「とても出来そうにないこと」
そう言えば 「時計の修理」 も、昔の私にとってはそんなことの一つだったのだ。
人間は、自分達が思っている以上に 「出来る」 動物なのではないか?
とても出来ない、とハナから決めて掛かっているが、、、何らかのきっかけで本気になる。
すると、思っていた以上に出来る。
そんな感じか。
私が、とても出来そうにない時計の修理を始めたのにも、きっかけがあった。
何度も何度も修理に出しているのに一向に直らない時計の裏ブタをヤケクソ気味に開けてみたら、、、、機械は明らかに真っ黒け。
素人目にも、真剣に手入れしようとした形跡はなかった。
仕方なく別の職人さんにお願いしたが、、、結果的には変らない。
再度お願いにあがったところ、、、老時計師曰く 「この時計は私と同じ。 もうお爺ちゃんだから、少々休んだりしても仕方ないよ。 そのまま大事にしてあげてね。」
本当にそうなのか?
どんなに頑張っても直らないのか?
そもそもは、それが知りたくて本気になったのだ。
あれは忘れもしない、1930年頃のスイス製の腕時計(Gruen)。
今にになってみれば、実際には 「わけなく直せる時計」 だ。
でも、、、あの時直らなくて良かったのだ、と思う。
でなければ、その後も販売した時計の整備はずっーと 「人任せ」 にしていただろうし、、、店も無くなっていたかもしれないから。
昨晩、うちに帰るとカミさんが一言。
「MMが自転車乗れるようになったよ!」
どうやら昨日の昼間になって、、、急に乗れるようになったらしい。
夜更かしの長女も部屋から出てきた。
「MMねー、まだ曲がれないんだけど、、、真っ直ぐなら自分で漕いでずっーと行けるよ」
乗れた瞬間に立ち会えなかったのはちょっと残念だったが、、、まあこれで一安心。
直にその辺を乗り回すようになるだろう。
きっとこの間まで 「乗れなかったこと」 すら忘れてしまうかもしれない、、。
いつかその時の気持ちを聞いてみよう、と思いながら、寝室のドアをそーっと開ける。
布団の上で大の字になった次女は、、、、少しお姉ちゃんぽくなったように見えた。