Masa’s Pastime

2012年06月08日

懐中時計 東京 腕時計

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懐中時計 東京 腕時計



このところ、フュジーの付いた時計の修理が続いている。



「アンティークウォッチファン」 でない方のためにもう少し砕いて言えば、、、鎖引きの時計、、、いや、チェーンドライブの時計、、、ウーン、、どうやっても解り易くならない。



それでも敢えて説明すると、、、「巻き上げたゼンマイの力を歯車に均等に伝えるため、自転車の変速機のようなギアーのようなもの(フュジー)を使っている時計」 か、、。




この 「チェーン駆動の時計」 は、おおよそ17世紀末頃から出現するが、、、20世紀初頭には船舶用の一部時計を除いて姿を消す。



ちなみに 「フュジー」 自体はこれよりもっと前から使用されていたようだが、、、その頃駆動に使われていたのは 「チェーン」 ではなくて、俗に言う 「キャットガット(猫の腸)」 なのだ。



「えーっ、猫の腸?! 可哀想!」 と驚くなかれ。



実際に使われていたのは、もっぱら 「羊の腸」 だったようだ。



まあ、猫でも羊でも可哀想なのは一緒だが、それは置いておいて、、、今日は、このチェーンの話し。




拡大して良く見ると、まさに自転車のと同じ 「チェーン」 そのものだが、、、、極めて細い。



爪楊枝と並べて写真を撮ってみたから、ご参考下さい。



一つ一つのコマは 「猿の目の周り」 のような、というか 「ひょうたん」 のような形をしていて、、、それぞれに穴が開けられ、リベットで留められている。



ちなみにその材質は、、、チェーン本体、リベットともに 「鋼」 で、必要な強度を持たせるために 「焼き入れ・焼き戻し」 を施してある。



そしてそれぞれの端っこには、ちょっと形状の違った 「フック」 が付いているのだ。




さてさて、、アンティークウォッチ修復の現場では、しばしばこの 「フック」 や 「コマ」 がダメになっているものに出くわすのだが、、、、その場合、「フックを一つ」 もしくは 「コマを一つ下さい」 などと材料屋に電話すると、翌日には店に送られてくる、なんて訳はなく、、、全て自力で作るしかないのだ。



もっともアンティークウォッチのパーツに関しては大半に同じことが言えるのだが、、、正直、コイツはその中でも特に 「面倒臭い」 仕事。



何年やっていても、、、いや、何年もやっているから余計なのかもしれないが、溜息が出る。




コマを例にとると、、、まず最初に、焼きの入っていない 「生の鋼の板」 からコマの形を削り出す。



他のコマと揃った大きさ、厚さ、形にひたすら 「コリコリ、コリコリ」



出来上がったら、繋ぐ相手とちょうどいいサイズの穴を開けるのだが、、、こんなサイズのドリルは市販されていないし、開ける穴のサイズは厳密には毎回違う。



だから多くの場合、その都度ドリルも作ることになるのだ。




無事 「穴開け」 が済んだら、今度は熱処理。



この段階までは、削ったり穴を開けたりし易いように 「生の鋼」 を使っていた訳だが、、このままでは柔らかくて使い物にならない。



ということで、一旦真っ赤にしてから 「焼き入れ」 し、その後、再び一定温度まで熱を加え 「焼き戻し」 する。



焼き入れによってガラスのようにカチカチに硬くなった鋼は簡単に折れたり砕けたりするが、焼き戻しすることによって 「硬いが粘りもある」 ものに生まれ変わるのだ。




ここまで来たら、あとはリベット留めして磨くだけ。



そう 「留めて磨くだけ」 なのだが、、、、これがまた面倒。



何故なら、旋盤で削り出したリベットの平均的なサイズは、、、長さが 「指紋と指紋の間」 くらいのものになるから。

(※ご興味のある方は弊社ホームページフュジーチェーンつなぎ  ご覧下さい。)
http://www.antique-pastime.com/repair/example/1/19.html



「太さ」 じゃないですよ。 「長さ」 なんですから、、。



ちょっとでも短ければリベットできないし、少しでも長いとリ叩いたベットが曲がってまともにかしまらない。



いい加減に見えて、この部分は、かなり大事。



少々長目だけどいいっかー 「エーイ」 などとやると、、、せっかく作ったコマまでひしゃげてパーになり「全部やり直し」 の憂き目に、、。




と、まあ折角いただく仕事に対して 「面倒」 などとは失礼千万、ありがたく修繕させていただかなければいけない、、、とちょっと反省。 



考えてみれば、こんな私の面倒など、、、、チェーンを作った人間の苦労に較べれば、屁でもないのだ。





当時の専門職には 「コマ抜き」 という手動のプレス機があったようだが、、、それにしても、それにしてもである。



チェーンには色々な長さや太さのものがあるが、いずれにしても平均的に130〜140くらいのコマが繋がっているのだ。



この全てに丁寧に穴を開け、熱処理を施し、繋ぎ、研磨を掛け、全てのコマがバラバラに独立してスムーズに動くように仕上げるとなると、、、、「想像を絶する面倒臭さ」 ではないか!




現在もてはやされている 「放電加工」 どころか、「電気」 そのものすら生活の中に取り入れられていなかった時代の職人たちの苦労、そして根気。



「チェーンドライブの時計」 を分解するたび、、、つくづく 「偉いなぁ」 と感心するのだ。


posted by Masa’s Pastime at 18:42 | Comment(0) | 新着情報

2012年06月06日

先週、携帯電話を新しくした。



いや、「新しくなった」 と言うべきか?




去年の夏、海水浴で水没させて取り替えてから1年足らずで、、、また水没。




お恥ずかしい話しだが、、、これで同じ電話の3台目、ということになる。



まあ電話に入っていたデータは生きていたし、新たな電話の購入費用他は溜まっていたポイントで賄えたから結果的には何も問題はないのだが、、、、今回はその原因がちょっと情けない。






先週の休日の夜中、、、港にいた私は、人っ子一人いない桟橋で、エッチラオッチラと釣り道具を運んで歩いていた。



そして、その先端まで来ると、桟橋の真ん中に 「ヨッコラショ」 と、クーラーボックスを置いて一服。



その後、真っ暗な水面に魚の気配がないか、チョロチョロしていたのだが、、、、ふと気が付くと、「ゴロゴロゴロ」 と音がする。



真っ暗な中、目を凝らすと、、、桟橋のほんの僅かな傾斜のせいで、タイヤの付いたクーラーがコロコロと動いていた。



「あっ。 まずい」



そう思い、慌ててクーラーボックスに突進。



まさに、すんでのところで取り押さえ、事なきを得たのだ。




ここまでは良かった。



クーラーボックスには、前の週に市場で買ったイカやイイダコ、それからその前の週に釣り上げたカツオの切り身などの 「釣り餌」 の他、翌日の 「自分の餌」 や飲み物などが入っていて、、、海にぶちまけてしまう訳にはいかない。



ホッとした私はクーラーを桟橋の真ん中に戻し、傾斜に対してタイヤが横を向くように置き直したのだったが、、、。




その時、ちょっとだけよろけたのだ。



その桟橋は、隙間なく板を貼ってあるタイプのものだが、、、、クーラーを置いて起き上がった際、ほんの僅かな板と板の段差に踵が引っ掛かったような感じだった。



「おっとっと」



反射的にもう一方の足を後ろに付いたところ、、、そこにはロープが転がっていた。



踏ん張ろうとした足がロープに乗って更にバランスを崩した私の意識には、しかしまだ余裕があった。




いや、、余裕がある 「筈」 だったのだ。



頭の中では 「まだ何と言うことはない」 と思い、簡単にバランスを立て直すつもりだったのに、、、。



実際には、そのまま2、3歩よろけた私の身体は桟橋の端で斜めに傾き、、、スローモーションのように真っ暗な海に落ちたのだ。




「ドッボーン!」



静まり返った港に響き渡った自分の落水音は、やけに派手だった。



誰もいないのに、恥ずかしくて 「見られてはいけない!」 



そう思った私は、咄嗟に桟橋に飛び付き、、、「3秒ルール」 よろしく何事も無かったように振舞おうとしたのだが、、、、「アレッ?!」



上がれない。



羽織っていたウインドブレーカーのフードに溜まった水、一杯に水を吸った大型のウエストポーチが邪魔しているとは言え、、、「あり得ない」 重量感。



「ザザー」 という水の滴り落ちる音を聞きながら、桟橋の上に肘まで上がっているのに、、、、そこから上に身体が上がらないのだ。




何度か続けて失敗した私は、、、愕然とした。



こんなに身体が重くなっているとは、、。



ダイビング屋だった20代の頃は、、、20キロからの装備を身に付けたまま、水面から船に飛び上がっていたのに。




パンパンになった二の腕を休めるため、しばらくは水面で浮いていた。



さて、どうするか。



最悪の場合、朝になって誰か来るまで泳ぎ続けていればいいのだし、水温は充分に高いから、、、命の危険はない。



しかし、あまりに情けない。



係留してある船の縁はあまりに高く、、、これは無理。



しばし考えながら泳ぎ回り、、、、結局は桟橋の反対側のクリートに繋がったロープにしがみついて、何とかよじ登ったが、、。




ずぶ濡れになった服を脱ぎ、絞っていて気が付いた。



「あっ、携帯電話!」



ウエストポーチに入れていた携帯電話は 「防水仕様」 だが、、、こんなにどっぷり水に浸かってしまっては無理だろう。



慌ててポーチから取り出し、蓋を起こしてみると、、、、画面の明るさが普段の半分くらいになった上、縦にたくさんの線が入っている。



すぐに電池を抜き、タオルであちこち拭いてみたが、、、直に電源も入らなくなった。




でも、、、実際、携帯電話は、どうでも良かったのだ。



こうしてすぐに新しいものが手に入るし。



どうでも良くないのは、、、自分の身体。



頭の中は昔のままでも、、、現実にはそうでないのだ。



これが悔しかった。




翌日釣りを終えて帰宅した私は、家族の笑いの種になりながらも、、、、長いこと埃を被っていた 「健康ぶら下がり器」 で、さっそく懸垂を始めたのだ。 



posted by Masa’s Pastime at 15:58 | Comment(0) | 新着情報

2012年06月03日

土砂降りの中、ガタガタ震えながら信号待ちをしていた私たちは、「プア−ン」 というバスのクラクションを聞いた。




反射的に振り向くと、少し後方に止まっているバスのようで、、、よく見ると、ガラス越しに運転手のオジサンが手招きをしている。




どうしていいか分からずに固まっていた私と 「I」 



すると、なんとオジサンはバスから飛び出してきたのだ。





「早く乗りな!」




彼はそう言って、大急ぎで私たちの自転車をバスに積み込み、、、促された私たちもずぶ濡れのまま座席に。




車内はガランとしていたが何人かの乗客はいて、、、、私と 「I」 はかわるがわる 「寒いだろ?」 とか 「どうしたの?」 とか聞かれた。




その後、停留所ごとにバスは一人また一人と乗客を降ろしてゆき、、、やがて乗客(私たちはお金を持っていなかったが、、)は私たちだけになった。




そこからの記憶は何故か一部途切れているのだが、、、どうやらそれは終バスで、運転手のオジサンは営業を終えるまでの間、そういう形で私達を保護してくれたようだ。




気がつけば、私と 「I」 は、素っ裸の身体に毛布を被り、真っ赤に燃える暖炉の前に座っていた。



「青梅警察」 の部屋は快適だった。



暖炉はバチバチと音をたてて燃え、毛布も肌触りがいい。



ずぶ濡れでガタガタ震えていたさっきまでとは、天と地の違い。



それに、怖いと思っていたおまわりさん達も皆優しかったのだ。




おまわりさんが作ってくれた雑炊をパクついていると、、、「I」 の両親が部屋に入って来た。



私のオフクロを乗せて、自家用車で飛んできたようだった。



私は怒られるのを覚悟して、心の中で身構えた。



「I」 は 「たっちゃん池」 の帰りからずっとそのことを怖れていたし、そもそもこうなったのは私のせいだから、、、当然、私も彼の両親にこっぴどく怒られると思っていたのだ。




ところが実際には、全然違った。



彼の両親も私のオフクロも、、、、何故かひどく嬉しそうにしていて、ちっとも怒らないのだ。



みんなペコペコとおまわりさんに頭を下げお礼を言っているが、、、おまわりさんの方だってニコニコしているではないか。



一方、怒られなくて済んだ筈の 「I」 は、何故か毛布に包まったまま泣いている。




訳が分らなかった。



「なんでだろ?」



拍子抜けした私は答えをみつけ出せないまま、、、、ただ雑炊の旨さを噛みしめていた。





(完)


posted by Masa’s Pastime at 14:09 | Comment(0) | 新着情報

2012年06月01日

それから、一体何時間自転車を漕いだろうか?




細かったクネクネ道からいつしか大きな車道に入り込んだ私達は、すぐ脇を車がビュンビュンと追い越す側道を走っていた。




大通りに入った頃から降り始めた雨は段々と勢いを増し、、、そのうちザーザー降りに。




完全な濡れネズミになった私達は全く口もきかず、、ひたすら前に向かってペダルを漕ぎ続けていたのだ。





今もはっきり憶えているのは、読み方の分からない「青梅」という標識、、、側溝にはさまっていた猫の死骸、、、車が追い越す度に頭から被る水飛沫、、、、そして振り返った時に見た 「I」 の顔。




身体が大きくて力が強く、少年野球のチームでも不動の四番で、、、いつもは威張りん坊だった 「I」。




その 「I」 の泣き出しそうな顔を見て、、、初めて私は事態を深刻に受け止めたのではなかったか、。




「どうやら自分のせいで、えらいことになった。  こりゃ、うちには帰れないな」 と。





きっと 「I」 の両親は、カンカンになって怒っているのだろう。




オジサンの車に乗せられた 「Y」 は、ちゃんと家に帰れたのか?




オフクロはどうしてるかな?




次から次へと、心配のタネが浮かんで来る。




私はもはや、どこかに向かって走っているのではなく、、、止まって現実を直視する事が出来なくなっていたのだと思う。





そのうち、私達に水を跳ね上げる車の数が少なくなった。




「I」 も私も時計など持っていなかったが、、、明らかに夜は更けていた。




寒い、、。




季節は確か秋頃だったが、、長いことずぶ濡れだったせいで、寒くて堪らなかった。




赤信号で並んで止まると、、、、 「I」 もガタガタと震えていていた。




(続く)


posted by Masa’s Pastime at 14:53 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月30日

どのくらい時間が経ったか、、、10分くらいだったのか、1時間だったのか、、?



やっとのことで、真っ暗闇の遠くに光が見えた。



急いで明るい方に向かい、、、やっと森の外に出た私達3人。




道らしい道に出て、「I」 も 「Y」 も、少し安心したようだったが、、、私の心境は複雑だった。




そこはポツンポツンと街灯の灯った道で、確かに森の中より遥かにマシだったのだが、、、、私には全然記憶の無い道だったのだ。




でも、2人にはそうは言えない、、。




時間が気になる。



きっともう時間も遅いだろうし、、、とにかく少しでも早く知っている道に出たい一心だった。




「こっちだよ」



結局私はそのまま知っている振りを続け、自転車を押して歩き続けた。




大分歩いたが、、、いつまでたっても、「知っている道」 は出てこなかった。



今になって思えば、それは貯水池に沿って走っている細い道路で、私の向かっていたのは自分達の家と正反対だったから、、、、知っている道など出てきようがなかったのだ。




更に歩き続けると、、、困ったことに 「Y」 がグズリ始めた。



「もう歩きたくない」 とベソをかいている。



「こんな遅くなったらオヤジに怒られるよー。 早く帰りてェよー」



「I」 も怯えている。




道端に座り込んでしまった 「Y」 の傍に寄り、3人ともしばらく途方に暮れていると、、、やがて1台の車が通り掛かった。



その車は、急にスピードを落としたと思ったら路肩の私達の横にノロノロと近付いてやがて止まり、、、ドアを開けて一人のオジサンが出てきたのだ。



「オイ、こんな遅くに大丈夫か?」 とオジサン。



「僕達は大丈夫だけど、でもこの子がもう歩けないって言うんです」 おそらく私はそんな風に答えたのだろう。



すると 「Y」 を見たオジサンは、ビックリしたように言った。



「あれっ!? 君はAさんの息子さんじゃないか?」



「Y」 の父親は警察官だったのだが、、、偶然にもそのオジサンは、何らかの知り合いだと言う。



しかし、「Y」 はオジサンを知らないようだ、、。



彼は、私達がどこに向かっているのか?、なんでこんな時間にこんなところを歩いているのか?を私に聞くと、何とか私達の自転車を車に積めないかやってみたりしていたが、、、それが無理だと分ると、結局 「Y」 だけを車に乗せて、家まで送って行くことにしたのだった。




幼心に不安はあった。



変な人じゃないだろうか?



「Y」 が誘拐されるんじゃないか?



しかし、オジサンの言う 「Aさん」 は本当に 「Y」 の父親の名前だったし、見た感じも 「良い人」 そうだったから、、、、最終的に、私は同意したのだ。



「こっちの方に行くんだよー!」



「Y」 を乗せたそのオジサンは、走り出した車から腕を出して進むべき方角を念押ししてくれたが、、、それはさっきまで私が2人を 「先導」 していたのと反対向きだった。




今考えると、、、ここで私の最も悪い面が出た、と言える。



さっきまで 「こっちだ」 と2人に言い続けていた私は、、、結果的に自分の間違いを指摘され、意地になってしまったのだ。



車が見えなくなると、自転車に跨った私は 「I」 に言った。



「自転車ならこっちの方が近いんだ」




こっちに行っても、きっとすぐに知っている道は出てくる。 



それに今度は自転車だから早い。



安全よりも自分の体面にこだわった私は無理にそう考え、、、 「間違った道」 に向けて自転車を漕ぎ出してしまった。




どういう訳だか、、、「I」 は黙ってついてきた。





(続く)


posted by Masa’s Pastime at 16:56 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月25日

一般に、年を取ると寝付きが悪くなるという。



そう言えば、昔うちの婆さんもよく夜中に起き出して縫い物なんかしていた。



普段は寝床に入れば気絶するように寝ている私も、、、たまに何かの拍子で眠れないことがある。





そんな時には、何故か遠い昔の事を思い出す。



大体は苦い経験。



そして、そのうちそんな記憶が後悔や羞恥を伴って蘇り、、、、結局余計に眠れなくなるのだ。




何日か前もそうだった。




疲れ切っていて結構早くに床に着いたら、、、、夜中の2時過ぎに、パチッと目が覚めたのだ。




退屈しのぎにタバコを吸っても本を読んでもどうにもならず、、、、目をつぶってじっとしているうち、頭に浮かんだのは幼少の記憶だった。





それは40数年前の事。




当時小学校低学年だった私は、狭山貯水池近くの 「たっちゃん池」 に向かって自転車を漕いでいた。




「たっちゃん池」 は、貯水池近くの森の中にある小さな池。



本当は 「やけべ池」 という名前らしいが、ある時、たっちゃんという男の子がその池で溺れて亡くなってから 「たっちゃん池」 と呼ばれるように、、。



なんでも池の底は 「すり鉢」 のようになっていて、、、ちょっと入ると 「引き込まれる」



大人たちからそんな風に聞いていて、ちょっと怖いイメージの池だった。






その日の相棒は、幼なじみの 「I」 と 「Y」




近所の魚屋の息子だった 「I」 は私と同い年だが、際立って身体が大きく、力も強かった。




「Y」 はすぐ何軒か隣に住んでいた同級生の弟。




2つ3つ年下だったから、当時はまだ小学校にあがっていなかった筈だ。





池に向かった目的はなんだったのか、、、それから、何故その日に限っていつも私と一緒だった 「Yの兄」 がいなかったのかは思い出せない。




普段の私なら間違いなく 「釣りザオ持参」 だが、、、釣りをしない 「I」 と 「Y」 が一緒だったその日は、珍しく手ぶらだった。




もしかすると、まだたっちゃん池に行ったことがない 「Y」 を連れて行ってやろうと、年上の私達に兄貴ぶった気持ちがあったのかもしれない。





私達2人は自転車だったが、、、まだ自転車に乗れない 「Y」 は、ランニングシャツに半ズボンで駆けてきた。




たっちゃん池までは自転車なら30分位の距離だが、、、当然 駆けっこの 「Y」 は遅れがちになる。



その度、2人は 「Y」 が追いつくのを止まって待つ。



そんな風にしていたから、、、、思ったより時間が掛かった。




結局 「たっちゃん池」 に着いた時には既に夕方になっていて、、、私達3人は、夕暮れの中を慌てて帰ろうとしたのだった。




(続く)


posted by Masa’s Pastime at 13:53 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月23日

日曜日の夜は、完全に失敗した。




いつもなら早々に帰宅して釣りに出掛けるところだが、、、翌日の静岡県伊東市の予報は 「曇りのち雨」




おまけに午後からは東の風が強まるとのこと。




これでは 「金環日食」 が見れないばかりか、、、釣りもダメ。




そんなことで8時過ぎに仕事を終え、、ヤケクソ気味に 「ハモニカ横丁」 で飲んでしまったのだ。





もっとも翌日は休みだし、飲むこと自体に問題はなかった。




問題なのは、その程度。




普段より時間も早く、最初は適当な時間に電車に乗ろうと思っていた。




だけど、その日は何かとムシャクシャとすることもあり、一軒が二軒、そして二軒が三軒目に入った頃には、、、終電どころか、既に夜が明けていたのだ。




気がつけば店はカンバン。



勘定を済ませて重い身体を引き摺り、、、、電車に乗ったのは6時くらいだったか。




うちに着くと、長女は既に起きていた。



もうじき友達数人がうちに集まり、 「日食の観測会」 をやるという話しだったのだ。



「父ちゃん、もうすぐ始まるよ」



長女にそう言われるも、、、一睡もしてない上に酔っ払っている私は、「今日は無理無理。 曇りだから見えない」 と、寝床に倒れた。 



「そんなことなさそうだけど、、。 じゃ始まったら起こすからねっ!!」



「ああ、うん。  zzzzz−−−」




そして、おそらくそれから2〜30分後、、、、「早く、早く。 もう始まってるから」



私は長女に揺り起こされた。



ボーっとした頭のまま何とか寝床から這い出て、、、、フラフラとリビングに泳ぎ出る。



顔見知りの娘の同級生2人が、寝ボケた私の顔を見てクスクス笑っていたのは憶えている。



しかし、半ば強制的に手渡された色眼鏡を掛けてみた太陽がどんな様子だったか?、、、あまりハッキリしない。



結局、私はあまりに眠すぎてそのまま寝床に戻り、月曜の昼過ぎまで寝てしまったのだ。



後で娘達に聞いたところによると、、、どうやら私の予想とは裏腹に、「金環日食」 はほぼ完全に観測できたらしい。



少なくとも、西国分寺の我が家では、、。




東京での次のチャンスは数百年後、と言われる 「金環日食」



「父ちゃん、もうチャンスないねー。残念でしたー。」 と娘に言われ、、、「フン。 けど皆既日食はあるらしいからな」 と強がるのが精一杯。



実際のところ 「ダメ」 と決めつけずにちゃんと帰っていれば良かった、と、、、ちょっぴり後悔したのだった。


posted by Masa’s Pastime at 17:29 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月18日

先日、小学校に上がったばかりの次女が、ようやっと自転車の練習を始めた。



周りの子達や長女は幼稚園の頃には自転車に乗っていたが、、、何故か次女は興味を示さなかった。



いや、補助を付けた自転車は乗っていたことがあったが、、、いつの間にか放りっぱなしに。



それが、最近自分から 「乗れるようになりたい」 と言い出したのだ。




これが意外と難しい。



後ろから自転車を支えてやって、少しづつ手を離していくが、、、すぐに怖がってブレーキを握ってしまう。



「大丈夫だから、心配ないから」 となだめすかしても、、、「怖い」



思い切って勢いをつけて、とも思うが、、、、長女の時にはそれをやって思いっきり顔面から地面に倒れこんでしまったことを思い出した。



幸い大きなヘルメットが身代わりになって事なきを得たが、、、そうでなかったらと思うと、無理は出来ない。



そのうち、ずうっとサドルに跨ったまま足を着いていた次女は、、、「お尻が痛い」



結局私と練習したその日は、1時間ちょっとで 「友達と遊びに行くー」 となってしまった。




何故出来ないのだろうか?



当たり前に出来ることは、、、かえって教えるのが難しい。



考えてみると、似たようなことは身の回りに溢れている。



一旦出来るようになると 「何でもないこと」 なのに、、、出来ない時には 「とても出来そうにないこと」 



そう言えば 「時計の修理」 も、昔の私にとってはそんなことの一つだったのだ。




人間は、自分達が思っている以上に 「出来る」 動物なのではないか?



とても出来ない、とハナから決めて掛かっているが、、、何らかのきっかけで本気になる。



すると、思っていた以上に出来る。



そんな感じか。




私が、とても出来そうにない時計の修理を始めたのにも、きっかけがあった。



何度も何度も修理に出しているのに一向に直らない時計の裏ブタをヤケクソ気味に開けてみたら、、、、機械は明らかに真っ黒け。



素人目にも、真剣に手入れしようとした形跡はなかった。



仕方なく別の職人さんにお願いしたが、、、結果的には変らない。



再度お願いにあがったところ、、、老時計師曰く 「この時計は私と同じ。 もうお爺ちゃんだから、少々休んだりしても仕方ないよ。 そのまま大事にしてあげてね。」 




本当にそうなのか?



どんなに頑張っても直らないのか?



そもそもは、それが知りたくて本気になったのだ。




あれは忘れもしない、1930年頃のスイス製の腕時計(Gruen)。



今にになってみれば、実際には 「わけなく直せる時計」 だ。



でも、、、あの時直らなくて良かったのだ、と思う。



でなければ、その後も販売した時計の整備はずっーと 「人任せ」 にしていただろうし、、、店も無くなっていたかもしれないから。




昨晩、うちに帰るとカミさんが一言。



「MMが自転車乗れるようになったよ!」



どうやら昨日の昼間になって、、、急に乗れるようになったらしい。



夜更かしの長女も部屋から出てきた。



「MMねー、まだ曲がれないんだけど、、、真っ直ぐなら自分で漕いでずっーと行けるよ」




乗れた瞬間に立ち会えなかったのはちょっと残念だったが、、、まあこれで一安心。



直にその辺を乗り回すようになるだろう。



きっとこの間まで 「乗れなかったこと」 すら忘れてしまうかもしれない、、。



いつかその時の気持ちを聞いてみよう、と思いながら、寝室のドアをそーっと開ける。



布団の上で大の字になった次女は、、、、少しお姉ちゃんぽくなったように見えた。


posted by Masa’s Pastime at 14:47 | Comment(0) | 新着情報

2012年05月16日

少々前に 「ギロシュダイアル」 を紹介したが、先日新たなパターンの第2弾が完成した。




今回は文字盤中央部分の 「ギロシュのパターン」 を若干変えた他、、、、ロゴの文字も 「PASTIME TOKYO」 から 「MASA'S PASTIME」 に変更し、字体ももう少しオーセンテイックなタイプに。



また 「TOKYO」 と  「シリアルナンバー」 の表記は、別枠の中に並べて彫った。







使用したムーブメントは、ウオルサムの 「リバーサイドマキシマ」




言わずと知れた、同社0サイズムーブメントの最高峰モデル。




テンプのキャップジュエル(受け石)には、ルビーではなくダイアモンドを使用した贅沢な仕様だ。




実のところ、この時計は先月まで以前製作した文字盤付きで店頭にあったものだが、、、新たな文字盤を試したくなって一旦店頭から取り下げ、、、改めて文字盤を作り直したのだ。





話しは変って、、、遅れていた 「12サイズのカスタムウォッチ」 の方だが、辻本は現在こちらの方のギロシュダイアルの製作に取り掛かっている。



文字盤の絶対的寸法が大きくなる分、こっちは同じパターンでも、かなりインパクトの強いものになる筈だ。



完成まで、あと数日は要する見込みだが、、、良いものが出来たらまた改めてご紹介したい。




一方、12サイズ腕時計のケースの方は、今日から担当の岩田が 「本製作」 に入った。



今まで数多く作ってきた試作ケースは皆 「真鍮」 だったり 「ステンレス」 だったりしたのだが、「本製作」 では、「ドーナッツ状の巨大な銀塊」 を削ることになる。



簡単に考えると、材料が変っても同じことをすればいいようにも思えるが、、、これがそうはいかない。



金属によって、刃物の適切な 「回転数」 や 「送り速度・方向」 は違うし、、、銀のような比較的柔らかい材料の場合は、チャッキング(材料の固定)にも工夫が要る。



また、一般の工業製品に使用されることのない銀の場合、刃物メーカーにも参考になるデータがなく、、、実際にテストピースで色々試しながら 「独自のデータ」 を作る必要があった。




万一仕上がりが悪ければ、高価な銀塊は 「ただの銀クズ」 になる。



だから、岩田にすると結構気を使う仕事になるが、、、まあ 「お預かりしている時計」 の修理作業と違って、こちらは所詮 「カネの問題」。



最終的には、私が我慢すれば済むことなのだ。




いずれにしても 「ケース」 と 「文字盤」 は製作に入り 、、、肝心の 「ムーブメント」 もそれなりに揃った。



後は、、、来週あたりに予定された、「特注のサファイアクリスタル」 の納品を待つばかり。



当初の予定からすると大幅に遅れてしまったが、、、何とかもう一歩、のところに来ているのだ。

懐中時計 東京 腕時計 ギョーシェダイアル

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2012年05月13日

長いこと使ってきた 「キズミ」 が壊れた。



この12年ほど毎日使い続けてきたものが、、気付いたら割れてしまっていたのだ。




目に嵌める本体の部分は、べっ甲風のセルロイド。



透明な部分と茶色い部分が、まだら模様になっているタイプ。



一般的な黒いプラスティックのものと比較すると周りから適度に光が入って視野が明るく、、、、重量も極めて軽いから使い心地が良かった。




急遽、一般的な黒いものを使い始めたが、、、どうにも具合が悪い。



顔に当てる開口部の直径が大きすぎる上にちょっと重いから、、、、分解・組み立ての作業中に 「ポロっと」 落ちてしまうのだ。



「目からウロコ」 ならぬ 「目からキズミ」 ?



キズミに針金状のホルダーを付け、頭に引っ掛けているうちの連中には問題がないようだが、、、直接目に嵌める私には、非常に具合が悪い。




「キズミ」 は、時計屋が使う道具の中で最も使用頻度が高いもの。



普段は 「使っていること」 すら意識していない、体の一部のようなものなのだ。



仕方ないから、ローズウッドで出来た市販品を買って、好みの寸法まで開口部を削り落とすことにした。




壊れたキズミは、12年ほど前、ある老時計師から引き継いだもの。



いや、、「引き継いだ」 というのは、少々不正確か。



生前知ることのなかったその人は、同じ 「井の頭通り沿い」 で長年時計店を商っていたようだ。




ある日、近所の骨董屋のオヤジがヌーッと店に入ってきた。



見上げるような大男が、両手にいくつもの腕時計を持っている。



「これ、みんな修理して」 と彼。



「初心出しでもあったの?」 と私。



ちなみに 「初心(うぶ)出し」 とは、、、業界用語で、長年手付かずの素人さんの持ち物を一切合財買取りすることを言う。




彼は、興奮気味にまくしたてた。



「この先の前進座の近くでずーっと時計屋をやってたジイさんが、亡くなったんだよ。 そんでもって遺族から頼まれて、時計や貴金属を引き取ってきたんだ。 まだまだたくさんあったよー。 あっ、そうだ。 時計の修理道具や材料みたいのは俺いらないからそのままにしてきたけど、あんた、要るなら紹介するから見に行けば? 」



ということで早速、岩田と2人で見に行ったのだ。




その古い時計店には、材料や道具が確かに色々あった。

 

腕時計の交換用部品や、懐中時計用のガラスのセット。



その他大量のゼンマイや小道具類、、、皮バンド等。



そして、部品が飛んでいってしまわないようガラスの風防を取り付けた手作りの修理台の上には、、、あたかもつい先日まで使っていたかのように、そのキズミが置いてあったのだ。




つまりそのキズミは私が12年ほど使う前にも、おそらく相当長いこと愛用されていたことになる。



そう考えると、よくもったものだと思うし、充分に寿命をまっとうした、と言えるだろう。




何千個もの時計を見てきた、このキズミ。



本当に具合が良かったんだが、、。



どうやら新しいキズミに慣れるまでには、、、、まだまだ時間が掛かりそうだ。

懐中時計 東京 腕時計


posted by Masa’s Pastime at 13:22 | Comment(0) | 新着情報