このところ、遠方から来店されるお客様が多くなった。
北は北海道、南は九州からも。
勿論、大概の皆さんはお仕事の出張や所用で上京する際に来店されるのだが、、、中には時計の購入や修理のためだけに飛行機で飛んでくるという熱心な方もいらっしゃって、頭が下がるのだ。
そんな中でも、今日時計を納品した方は今までで 「最も遠方のお客様」 だった。
「G. R」 さん。
遠くスカンジナビア半島 「ノルウェー」 からいらっしゃったお客様だ。
2ヶ月ほど前のある日、、、いつものように時計を組み立てている私のところに紅一点の本藤から内線電話が回ってきた。
「英語が話せる方はいらっしゃいますか?とおっしゃっているようですが、、、お願いします。」
うちの連中は皆 「仕事の腕前は文句なし」 なのだが、、、言葉の方はからっきしダメなのだ。
電話替わり用件を伺うと、先方は非常に紳士的な物腰でこう言った。
「代々我が家に伝わる大切な時計が、長年壊れたままになっている。 メーカーを含め、ヨーロッパでも修理するところを随分探したが、どこに行っても”直らない”ということで、諦めかけていた。 ところが昨日出張の空き時間に銀座の時計店に寄ったところ、”必ず直るところがある” と貴方の店を紹介され、今こうして連絡差し上げた次第なのです。」
まずは 「時計の年式やタイプ」 を伺うと、「おおよそ1880年頃に製造されたスイス製。 ○○社の腕時計」 だと仰る。
しかし、その年代にはまだ 「メーカー品の腕時計」 は製造されていない。
どうやら元々婦人用の懐中時計であったものに 「ラグ」 をロウ付けし、後年になってから 「腕時計化」 した時計のように思えた。
年式に関わらず修理を受ける、という評判のその時計メーカーで修理を断られた、という原因は、、、どうやらその 「ケースの改造」 にあるのかもしれない、と思った。
いずれにしても、その頃のまともな時計で ”直らない” というのはまず考えられない。
「最終的には時計を拝見してから判断したく思うので、是非お立ち寄り下さい」
そう言うと、先方は 「明日の午後、商談が済み次第すぐに伺います」 と興奮気味に答えた。
そして翌日。
約束通り来店されたGさんの時計を、早々に拝見した。
それは予想通り 「婦人用の懐中時計のケースを改造して腕時計化した」 時計であったが、、、内容的には間違いなく素晴らしい時計。
但し、内・外装ともにかなりのダメージがあった。
金のラグは全て派手に折れ曲がり、ガラスは欠損。
裏ブタの蝶盤のパイプは壊れて外れてしまっている。
文字盤を取り去り機械を一部分解したところ、、、歯車の一つがそっくり無くなっている上、時刻合わせの際に作動するスプリングの一つは 「いい加減な針金を先端にハンダ付けした改造品」 がテンコ盛りの接着剤で固めてあった。
勿論それなりに古い時計だから、その他にも 「普通に痛んでいる箇所」 は多数存在する状態だ。
さっそく該当部分を顕微鏡にセットし、Gさんに見てもらいながら状況を説明。
大量の接着剤やハンダ、それから歯車の無くなってしまっている現状を目の当たりにし、、、さすがに驚いたようだ。
一通り状況を説明差し上げたところで、「直りますか?」 と心配そうにされている。
「直ることは100%間違いありません。 しかし相当な費用が必要です。」
残念ながらそう事実を伝えると、、、私の想像とは反対に 「Gさん」 の顔はみるみる明るくなり、きっぱりした口調でこう言った。
「費用はいくら掛かっても問題ありません。 私にとっての問題は ”きちんと直るかどうか” 、そして現在90歳になる私の祖父に ”完成した時計を見せられるかどうか” 、それだけなのです。」
かくしてお預かりしたGさんの時計は、、、「機械部分を任せた岩田」 「外装部分を任せた辻本」 2人の奮闘により、先週無事完成。
昨日、Gさんからメールがあった。
「今、成田空港に到着しました。 明日の昼過ぎ、貴方の素晴らしいお店に伺います。 楽しみで楽しみで今から待ち遠しくてなりません。」
そして今日の昼過ぎ、Gさんと再会、そして件の時計の納品。
完成した時計の出来栄えに大変喜ばれ、こう言った。
「かつてスイスで作られた時計の修理が現地で断られ、こうして日本で修理されることを滑稽に思う人があるでしょう。 しかし私は近年の日本人の 「技術」 「仕事の丁寧さ」 それに加えて 「人間的な信頼感」 は間違いなく世界の最高レベルにあると考えています。 なにしろそのために私はこの30年この国に足を運び続けているのですから。」
残念ながら詳しい内容はこの場でご紹介できないのだが、、、Gさんは一つが 「何十億円」 もする 「ある製品」 の製造を日本で発注し、世界中の商社に供給していると伺っている。
一つ一つが途方も無く高価になるものだからこそ、「何が何でも日本でないといけないのだ」 と言われ、日本人である私は悪い気はしない。
「是非この店の名前の入っている時計が欲しい」 というGさんには 「パスタイム」 のロゴ入り手彫りダイアルを取り付けた 「カスタム腕時計」 もご購入いただき、来年早々に再会することになった。
こんな風にして本日11/18日の日曜日は、、、つくづく 「時計屋冥利に尽きる一日」 になったのだ。
北は北海道、南は九州からも。
勿論、大概の皆さんはお仕事の出張や所用で上京する際に来店されるのだが、、、中には時計の購入や修理のためだけに飛行機で飛んでくるという熱心な方もいらっしゃって、頭が下がるのだ。
そんな中でも、今日時計を納品した方は今までで 「最も遠方のお客様」 だった。
「G. R」 さん。
遠くスカンジナビア半島 「ノルウェー」 からいらっしゃったお客様だ。
2ヶ月ほど前のある日、、、いつものように時計を組み立てている私のところに紅一点の本藤から内線電話が回ってきた。
「英語が話せる方はいらっしゃいますか?とおっしゃっているようですが、、、お願いします。」
うちの連中は皆 「仕事の腕前は文句なし」 なのだが、、、言葉の方はからっきしダメなのだ。
電話替わり用件を伺うと、先方は非常に紳士的な物腰でこう言った。
「代々我が家に伝わる大切な時計が、長年壊れたままになっている。 メーカーを含め、ヨーロッパでも修理するところを随分探したが、どこに行っても”直らない”ということで、諦めかけていた。 ところが昨日出張の空き時間に銀座の時計店に寄ったところ、”必ず直るところがある” と貴方の店を紹介され、今こうして連絡差し上げた次第なのです。」
まずは 「時計の年式やタイプ」 を伺うと、「おおよそ1880年頃に製造されたスイス製。 ○○社の腕時計」 だと仰る。
しかし、その年代にはまだ 「メーカー品の腕時計」 は製造されていない。
どうやら元々婦人用の懐中時計であったものに 「ラグ」 をロウ付けし、後年になってから 「腕時計化」 した時計のように思えた。
年式に関わらず修理を受ける、という評判のその時計メーカーで修理を断られた、という原因は、、、どうやらその 「ケースの改造」 にあるのかもしれない、と思った。
いずれにしても、その頃のまともな時計で ”直らない” というのはまず考えられない。
「最終的には時計を拝見してから判断したく思うので、是非お立ち寄り下さい」
そう言うと、先方は 「明日の午後、商談が済み次第すぐに伺います」 と興奮気味に答えた。
そして翌日。
約束通り来店されたGさんの時計を、早々に拝見した。
それは予想通り 「婦人用の懐中時計のケースを改造して腕時計化した」 時計であったが、、、内容的には間違いなく素晴らしい時計。
但し、内・外装ともにかなりのダメージがあった。
金のラグは全て派手に折れ曲がり、ガラスは欠損。
裏ブタの蝶盤のパイプは壊れて外れてしまっている。
文字盤を取り去り機械を一部分解したところ、、、歯車の一つがそっくり無くなっている上、時刻合わせの際に作動するスプリングの一つは 「いい加減な針金を先端にハンダ付けした改造品」 がテンコ盛りの接着剤で固めてあった。
勿論それなりに古い時計だから、その他にも 「普通に痛んでいる箇所」 は多数存在する状態だ。
さっそく該当部分を顕微鏡にセットし、Gさんに見てもらいながら状況を説明。
大量の接着剤やハンダ、それから歯車の無くなってしまっている現状を目の当たりにし、、、さすがに驚いたようだ。
一通り状況を説明差し上げたところで、「直りますか?」 と心配そうにされている。
「直ることは100%間違いありません。 しかし相当な費用が必要です。」
残念ながらそう事実を伝えると、、、私の想像とは反対に 「Gさん」 の顔はみるみる明るくなり、きっぱりした口調でこう言った。
「費用はいくら掛かっても問題ありません。 私にとっての問題は ”きちんと直るかどうか” 、そして現在90歳になる私の祖父に ”完成した時計を見せられるかどうか” 、それだけなのです。」
かくしてお預かりしたGさんの時計は、、、「機械部分を任せた岩田」 「外装部分を任せた辻本」 2人の奮闘により、先週無事完成。
昨日、Gさんからメールがあった。
「今、成田空港に到着しました。 明日の昼過ぎ、貴方の素晴らしいお店に伺います。 楽しみで楽しみで今から待ち遠しくてなりません。」
そして今日の昼過ぎ、Gさんと再会、そして件の時計の納品。
完成した時計の出来栄えに大変喜ばれ、こう言った。
「かつてスイスで作られた時計の修理が現地で断られ、こうして日本で修理されることを滑稽に思う人があるでしょう。 しかし私は近年の日本人の 「技術」 「仕事の丁寧さ」 それに加えて 「人間的な信頼感」 は間違いなく世界の最高レベルにあると考えています。 なにしろそのために私はこの30年この国に足を運び続けているのですから。」
残念ながら詳しい内容はこの場でご紹介できないのだが、、、Gさんは一つが 「何十億円」 もする 「ある製品」 の製造を日本で発注し、世界中の商社に供給していると伺っている。
一つ一つが途方も無く高価になるものだからこそ、「何が何でも日本でないといけないのだ」 と言われ、日本人である私は悪い気はしない。
「是非この店の名前の入っている時計が欲しい」 というGさんには 「パスタイム」 のロゴ入り手彫りダイアルを取り付けた 「カスタム腕時計」 もご購入いただき、来年早々に再会することになった。
こんな風にして本日11/18日の日曜日は、、、つくづく 「時計屋冥利に尽きる一日」 になったのだ。