シンガポールから帰国したPさん一家と、うちでホームパーティーをした。
Pさんのシンガポール赴任に関しては去年のブログでご紹介したが(2011/9/30ブログ・「伊勢海老と友人」参照)、最後に家族全員で集まってから一年以上が経っている。
そもそも当初の予定では、旅行を兼ねてうちの方からシンガポールに訪ねて行くことになっていたのだが、、、こちらの都合がなかなか付かずにいるうち、先方が帰国することになったのだ。
もっとも、大人にとっての一年は何ということはない。
お互い何も変わりはないし、近況など話しているとすぐに元通りになる。
しかし子供の成長は早い。
お互いの子供達を見ると、1年前とは見違えるようだ。
Pさん夫妻には、2歳のR君と4歳のAちゃんという2人の子供がいる。
1年前にはヨチヨチ歩きのR君が頭をぶつけないよう、うちのダイニングテーブルの角は新聞紙やタオルを丸めて保護してあったのが、、、既にR君の背丈はテーブルよりも頭一つ飛び出ていた。
Pさんにしても、同じ感想を持ったようだ。
知らぬ間にうちの長女の背丈が大柄なカミさんの顎くらいまで達しているのに驚き、、、幼稚園児だった次女も小学生になって、見違えるほどしっかりしている。
それぞれ毎日会っている親子は、変化に気が付かずにいる。
しかし親同士はお互いの子供の成長に驚き、、、それによって初めて 「時間の経過」 を意識する訳だ。
更にもっと驚くのは、頭の成長の方。
R君など去年は私のことを 「マタ・おじーさん(マサおじさんの意)」 と舌足らずな感じで呼んでいて、ほとんどそれが口から発する言葉らしい言葉の全てだったのに、、、今ははっきりとした言葉で、我が家の娘達と普通に話している。
そして次女のAちゃんなど母親と日本語で話していたかと思えばお父さんとはフランス語になり、両親双方と話す際は英語になったかと思うと、、、皆が一緒の時はまた日本語に切り替える。
その見事な 「切り替え」 には、1年前より断然磨きがかかっているのだ。
子供達を見ていて、ふと思った。
たった1年でこれだけ子供達の言葉が流暢になるということは、、、もしかして、私にも出来るのでは?
私には以前から 「フランス語が出来ればなぁー」 ということが何度もあったのだ。
時計学校に行かず各種解説書で仕事を覚えた私にとって、フランス語で書かれた書物が読めないのは大きなハンデだったし、今でもそうだ。
以前このブログに登場したスイスのF氏(2012/2/29ブログ・F氏との再会参照)などは 「時計の設計」 などの興味深い書物をみつけてはメールしてきてくれるが、、、「これは!」 と思うものは元々英語盤で出版されていないものも多い。
パスタイムにある懐中時計の資料などもフランス語オンリーのものがいくつかあって、、、よくお客様とそんな本を開いては 「たぶんこういうことじゃないかなぁー」 などと言いながら写真を眺め、忸怩たる思いをすることがあるのだ。
一日中店に出ている私にとって、フランス語学校や教室に通うのはなかなか難しい。
以前、何通りかの具体案を知り合いに提案いただいたこともあったが、、、どうにも時間のやりくりが付きそうになくて、以降そのままになってしまった。
もっとも世の中には 「60を過ぎてから勉強して司法試験に合格した主婦」 すらいらっしゃるから、、、、その努力を考えれば、私の 「難しい」 は、単なる言い訳に過ぎないが。
ちょっとワインが回ってきた頃、遊んでいる子供達を見ながら 「さも参った」 という顔をして、Pさんが言った。
「ワタシの日本語、、、4歳のレベルに達してナイネー」
「Pさん、日本に来て何年だっけ?」
「もう今年で8年目。 でも、もう娘の方がズッとウマイでしょ、、。」
Pさんの日本語は、決して悪くない。
込み入った言い回しをしなければ、大概の日常会話では 「そう困らない」 レベルと言える。
しかし、オギャーと生まれた時には何も話せなかった赤ん坊がたったの4年で3ヶ国語の日常会話を習得することを考えると、、、やはり 「子供のようにはいかない」 ということか、、。
「んー、、」
そう言われると、、、確かにそうだろう。
向こうは日々進化し、こちらは明らかに退化しているのだから、、。
「じゃ、そっちの方は子供達に任せるとするか?!」
そんな風に自分の中で勝手に解決して、、、いつものように夜は更けたのだ。