Masa’s Pastime

2013年02月20日

「知命」

思いっきり私事で恐縮だが、、、今月の18日、私は 「50回目の誕生日」 を迎えた。




さすがにこの歳になると 「ハッピーバースデイ、トゥーユー♪」 などという騒ぎはないが、、。




しかし近隣の友人一家から 「魚釣り用の網」 をいただいたり、年老いた両親に夕食をご馳走になったりしたのだから、これはまあ有難い限りである。





この半世紀を振り返れば、実に色々なことがあった。



しかしその全てを流れに沿って思い出すことは出来ず、、、記憶はちりちりばらばらな断片になっている。






保育園のお昼寝で使っていた水色の枕。



ツルツル冷んやりしていて、熊の刺繍が入っていた。




同じく保育園でのお弁当時間。



ある日、持っていった弁当箱を開けると、、、中身が綺麗に空っぽ。



これはオフクロの勘違いだが、、、担任の優しい保母さん(片山先生という名前だった)が、自分のお弁当を分けてくれた。




小学校の頃、ススキの野原を焼いた。



拾ってきたマッチで友達と火遊びをしたら、、、帰ってきてから火が燃え上がり、大騒ぎになったのだ。



これは結局、ずーと内緒にしていた。




中学、高校、浪人時代、大学入学・中退、そして就職。



フィリピン、インドネシア→アメリカ、、、と記憶は段々と最近のものになってゆく。




しかし新しい記憶がより鮮明かと言うと、不思議とそうではない。



むしろ反対なことが多いようだ。





そう言えば、昨日オフクロが言っていた。



50年前、私を産んだ日のことをハッキリ憶えている、と。



しかし半世紀前のことをそれほど鮮明に憶えている割には、、、待ち合わせの時間と場所は、間違えていた。




これはやはり 「老いる」 ということか?



私にしても、保育園の記憶はあるのに、 「先週の今日、晩飯に何を食べた?」 などと聞かれると、、、全く思い出せなかったりしているのだから。




いけないいけない。



ボヤボヤしている場合ではないのだ。



子供達はまだまだ幼いし、、、うちの連中の将来も 「マサズ パスタイム」 に掛かっているではないか。




論語によれば、50歳は 「知命」 



「50にして天命を知る」 ということのようだ。




天命、つまり 「天から与えられた私の使命」 



これだけは忘れないようにしないと。



「孔子」 に尻をペンペンされて、、、きっと、痛い目に遭うのだ。


posted by Masa’s Pastime at 13:40 | Comment(0) | 新着情報
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