無我夢中で甲州街道を走って左に折れると、ようやっと国立インターが見えてきた。
時刻は、「5時20分」 過ぎ。
飛行機の 「離陸」 まで、、、既に1時間を切っている。
やっぱり無理か、、。
更にここで、私は 「大ポカ」 をしていることに気づいた。
ふと燃料計を見ると、、、ガソリンが 「最後の一目盛りの半分くらい」 しか残っていなかったのだ!
インター入り口手前にはガソリンスタンドがあるが、、、給油している時間がない。
かといって高速道路で燃料切れを起こせば、、、一巻の終わりだが、、。
一瞬の逡巡の後、、、運を天に任せた私はそのまま中央高速に乗り、首都高に向けてひたすら走った。
「父ちゃん、スピード出し過ぎ!」
助手席の長女は怖がったが、、、普通に走ったのでは、どうやっても望みがないのだ。
もちろん事故を起こす訳にはいかないし、交通違反で捕まる訳にもいかない。
燃料切れも、論外。
切羽詰まった私は、「前方」 と 「バックミラー」、それから 「燃料計」 を交互に見ながら、、、ひたすら先を急いだ。
新宿を通過したのは 「5時35分過ぎ」 だったか。
とにかく時間がない。
幸い日曜日で首都高に渋滞はなかったが、、、このあたりから少しずつ車が増えて、走りにくくなった。
「ガソリン大丈夫?」
心配そうに話しかけてくる長女。
エスティマの燃料計は助手席のほぼ正面にあるから、彼女にもよく見えているのだ。
「、、、」
燃料計がほぼ振り切っているのは、分っていた。
だが私はこの時、、、「全く別の理由」 で、口を利ける状態ではなくなっていたのだ。
普段の私は、目覚めると同時に、決まってトイレを済ます。
だが、この朝はそれどころではなかったし、、、暴走運転に伴う極度の緊張のためか、それを意識することがなかった。
ところが、一瞬 「もしかしたら間に合うかもしれない」 という希望が頭をかすめた瞬間、、、、急に下腹が痛くなって、催してきたのだ。
「ちょっと話し掛けないでくれ。 トイレが、、。」
「時間がない」 「燃料がない」 に加えて、今度は 「生みの苦しみ」
三重苦を背負った私は、脂汗をかいて前屈みになりながら、、、、なんとかハンドルを操り続けた。
ほとんど燃料のなくなった車は、お台場近辺を通過した。
時刻は 「5時50分過ぎ」
羽田まで、もう一息だが、、。
燃料計は、完全に振り切っている。
暴力的な下っ腹の締め込みは、その 「周期」 が短くなり、、、我慢の限界が近づいていた。
何時エンジンが止まるか分らない状態の中、、、私は一瞬、「最悪の場面」 を想像した。
「ガス欠でエンコ」 → 「高速道路上で野○ソ(?)」 → 「久米島旅行の断念」
それだけは何とか避けたい。
そんなことになれば、、、色々な意味で、幼い子供たちの心に 「醜い傷跡」 を残すことになるのは間違いないのだ!
しかし、耐え難い 「陣痛」 は、容赦なく襲い掛かってくる。
覚悟を決めた私は、長女に 「コンビニのビニール袋」 を用意するよう言いつけ、、、「万一」 に備えて走り続けた。
「6時ギリギリ」
空港が見えてきた。
「西部警察」 のような運転でターミナル前に車を着けた私は、、、空港内のトイレに突進。
代わってカミさんが車を駐車場に入れ、、、子供たちと共に、猛ダッシュで荷物をチェックインカウンターに運ぶ、という段取りになった。
救われたような気持ちで、男子トイレに突入した私。
しかし、実に不ウン(?)なことに、、、3つある扉のカギは、全て 「赤マーク」 !
祈るようにして待つも、、、誰も出てくる気配がない。
人間、一度 「もう大丈夫」 と気を緩めてからの我慢には、自ずと限界がある。
一瞬、血迷って 「女子トイレ」 に行きかけたが、、、、これが 「問題」 になれば、全てはパーになることに気付き、断念。
仕方なく、、、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、、身を捩りながら歯を喰いしばることしばし。
「ザーッ」 という流水音に続いて 「カチャ」 っと一番手前のドアが開き、、、遂に私は、「全ての苦しみ」 から解放されたのだ。
(続く)
※ このブログはフィクションであり、道路の走行条件、所要時間等は実際のものではありません。
時刻は、「5時20分」 過ぎ。
飛行機の 「離陸」 まで、、、既に1時間を切っている。
やっぱり無理か、、。
更にここで、私は 「大ポカ」 をしていることに気づいた。
ふと燃料計を見ると、、、ガソリンが 「最後の一目盛りの半分くらい」 しか残っていなかったのだ!
インター入り口手前にはガソリンスタンドがあるが、、、給油している時間がない。
かといって高速道路で燃料切れを起こせば、、、一巻の終わりだが、、。
一瞬の逡巡の後、、、運を天に任せた私はそのまま中央高速に乗り、首都高に向けてひたすら走った。
「父ちゃん、スピード出し過ぎ!」
助手席の長女は怖がったが、、、普通に走ったのでは、どうやっても望みがないのだ。
もちろん事故を起こす訳にはいかないし、交通違反で捕まる訳にもいかない。
燃料切れも、論外。
切羽詰まった私は、「前方」 と 「バックミラー」、それから 「燃料計」 を交互に見ながら、、、ひたすら先を急いだ。
新宿を通過したのは 「5時35分過ぎ」 だったか。
とにかく時間がない。
幸い日曜日で首都高に渋滞はなかったが、、、このあたりから少しずつ車が増えて、走りにくくなった。
「ガソリン大丈夫?」
心配そうに話しかけてくる長女。
エスティマの燃料計は助手席のほぼ正面にあるから、彼女にもよく見えているのだ。
「、、、」
燃料計がほぼ振り切っているのは、分っていた。
だが私はこの時、、、「全く別の理由」 で、口を利ける状態ではなくなっていたのだ。
普段の私は、目覚めると同時に、決まってトイレを済ます。
だが、この朝はそれどころではなかったし、、、暴走運転に伴う極度の緊張のためか、それを意識することがなかった。
ところが、一瞬 「もしかしたら間に合うかもしれない」 という希望が頭をかすめた瞬間、、、、急に下腹が痛くなって、催してきたのだ。
「ちょっと話し掛けないでくれ。 トイレが、、。」
「時間がない」 「燃料がない」 に加えて、今度は 「生みの苦しみ」
三重苦を背負った私は、脂汗をかいて前屈みになりながら、、、、なんとかハンドルを操り続けた。
ほとんど燃料のなくなった車は、お台場近辺を通過した。
時刻は 「5時50分過ぎ」
羽田まで、もう一息だが、、。
燃料計は、完全に振り切っている。
暴力的な下っ腹の締め込みは、その 「周期」 が短くなり、、、我慢の限界が近づいていた。
何時エンジンが止まるか分らない状態の中、、、私は一瞬、「最悪の場面」 を想像した。
「ガス欠でエンコ」 → 「高速道路上で野○ソ(?)」 → 「久米島旅行の断念」
それだけは何とか避けたい。
そんなことになれば、、、色々な意味で、幼い子供たちの心に 「醜い傷跡」 を残すことになるのは間違いないのだ!
しかし、耐え難い 「陣痛」 は、容赦なく襲い掛かってくる。
覚悟を決めた私は、長女に 「コンビニのビニール袋」 を用意するよう言いつけ、、、「万一」 に備えて走り続けた。
「6時ギリギリ」
空港が見えてきた。
「西部警察」 のような運転でターミナル前に車を着けた私は、、、空港内のトイレに突進。
代わってカミさんが車を駐車場に入れ、、、子供たちと共に、猛ダッシュで荷物をチェックインカウンターに運ぶ、という段取りになった。
救われたような気持ちで、男子トイレに突入した私。
しかし、実に不ウン(?)なことに、、、3つある扉のカギは、全て 「赤マーク」 !
祈るようにして待つも、、、誰も出てくる気配がない。
人間、一度 「もう大丈夫」 と気を緩めてからの我慢には、自ずと限界がある。
一瞬、血迷って 「女子トイレ」 に行きかけたが、、、、これが 「問題」 になれば、全てはパーになることに気付き、断念。
仕方なく、、、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、、身を捩りながら歯を喰いしばることしばし。
「ザーッ」 という流水音に続いて 「カチャ」 っと一番手前のドアが開き、、、遂に私は、「全ての苦しみ」 から解放されたのだ。
(続く)
※ このブログはフィクションであり、道路の走行条件、所要時間等は実際のものではありません。