この春小学2年生になった次女が、風呂の中でプリプリ怒っていた。
「父ちゃん、Aちゃん、最悪、ムカつくー。」
「フーン」
「フーンじゃないよ、もう。 本当にイヤなんだからあー。」
「どうしてそんなに腹が立つんだ?」
そう聞くと、湯船の中の次女は鼻の穴を真ん丸に広げ、堰を切ったようにまくしたてた。
「だってAちゃんさー、ウチらが大縄飛びやってたら(入れてー)って来たから入れてあげたんだよ。 それなのにすぐに飽きちゃって、早く違う遊びしよう、って言うんだよ。」
「なんだ、そんなことか。 いいじゃん、違う遊びしてあげれば。」
「 だから皆で何するか決めようって言ったんだよ。 そしたらAちゃん、さっきは大縄にしてあげたんだから今度は私のやりたいのにしてよ!、だって。 自分が後から入ってきたのに!」
なるほど、大人の世界でもありそうなことだが、、、それなりに理屈は通っている。
「そうか、、、それでみんなAちゃんが何したいか聞いてみたの?」
「うん、 鉄棒だって。 でもみんな鉄棒やりたくないって言ったら、Aちゃん、怒って帰っちゃった。」
「フ−ン。」
「何でうちらが怒られなきゃいけないの? Aちゃんが勝手に入ってきたのに、、。 おかしいよー。」
確かに、次女の言っていることは間違ってはいない。
物事の筋から言えば、、、間違っているのは 「Aちゃん」 ということになるのだろう。
でも一方で、私は彼女が 「後から入って来たのだから」 という部分に拘り過ぎているのが気になった。
我が子には、もう少し 「おおらかな子」 でいて欲しかったのだ。
「明日学校に行ったら、ごめんね、って仲直りしな。」
「えー、やだよー。 だって、うちは悪くないんだもん」
「誰も悪いなんて言ってないよ。 でも、ごめんね、って言ったら、Aちゃんもきっと、ごめんねって言うんじゃないかな。 それで仲直りしたら、また一緒に遊べばいいじゃん」
「なんか変なの。 悪くないのに謝るなんて、、。」
昔、アメリカテニス界に 「J.マッケンロー」 という名選手がいた。
ある時テレビで彼の試合を見ていると、ジャッジを不満に思ったマッケンロー選手が 「Give me a break!( いい加減にしてくれよ!)」 と審判に詰め寄り、、、しばしプレーが中断する場面があった。
それは、他の選手のように 「一応不満をアピール」 する、といった調子ではなく、、、場合によっては、そのまま試合を放棄して立ち去りそうな猛烈な抗議。
ここでアナウンサーが 「マッケンロー選手の信条」 に関するエピソードを紹介した。
曰く 「自分が正しいと思ったら、相手が誰であろうと絶対に譲るな!」
彼は幼少の頃、弁護士だった父親にそう叩き込まれたのだという。
次女のシャンプーを流してやりながら、、、私は逆説的にその話しを思い出していた。
「でもさー、父ちゃん。 父ちゃんはどっちが悪いと思うの?」
「うーん。 どっちも悪くないし、、、どっちも悪いな。」
「えー? 何それ?」
「わがままばかり言ったのは、Aちゃんが悪い。 でも後から来たのに、って優しくしてあげなかったのはミミも悪いな。 でもそんなことぐらい良くあることだから、悪くないって言えばどっちも悪くない。 」
「???」
「要は、もっと気持ちに遊びがあればいいんだよ。」
「遊び?」
「うん。 父ちゃんの言ってる遊びは 「縄跳び」 や 「駆けっこ」 の遊びじゃなくて、、、なんて言うかなー、、、」
実際、これを子供に説明するのは、ちょっと難しい。
「ピッタリしてなくてちょっと緩いこと、って言うかな、、。 例えば、玄関にカギを刺し込むと、ちょうどピッタリじゃなくて少しだけグラグラするよな?」
「うん」
「あれは、鍵の遊び。 もし遊びがなくてピッタリだったら、ちょっと斜めにしただけで鍵は曲がっちゃうし、抜けなくなっちゃうんだ」
「へー、そうなんだ。」
「そう。 部品に遊びがなければ、時計だって動かないんだぞ。」
「父ちゃん、、、また時計の話しかー。」
「とにかく、、、だから人間の気持ちにも、遊びがあった方が楽しいんだ。 あんまり細かくピッタリし過ぎてるとすぐに、どっちが悪い、って話になって、お互い、つまらなくなっちゃう。」
「ふうーん。」
「ちょっとぐらいは、まあいいっか、って。 それが気持ちの遊び。」
自分に言い聞かす言葉でもある。
言うは易しいが、、、実行は困難。
しかしそれは間違いなく人間関係を円滑化し、無用のトラブルやストレスを回避する 「知恵」 と言えるだろう。
「でもさあ、父ちゃん。」
バスタオルで身体を拭いてやっていると、、、次女が心配そうに聞いた。
「もしうちがごめんね、って言っても、Aちゃん怒ってたらどうすればいいの?」
「その場合は仕方ないな。 お互い、それ以上無理して一緒に遊ばなくてもいい。 遊びは無けりゃ困るけど、大き過ぎてもいけない。 遊びが大き過ぎると、時計も止まっちゃうんだそー。」
「もう、父ちゃんまた時計の話しー!」
7歳の次女には、まだ解らないだろう。
でもいつか彼女が大人になり、人間関係で悩んだ時 「オヤジがこんなこと言ってたなー」 と想い出してくれたら、それでいい。
オカッパ頭にドライヤーを掛けてやりながら、、、オヤジは心からそう思ったのだ。
「父ちゃん、Aちゃん、最悪、ムカつくー。」
「フーン」
「フーンじゃないよ、もう。 本当にイヤなんだからあー。」
「どうしてそんなに腹が立つんだ?」
そう聞くと、湯船の中の次女は鼻の穴を真ん丸に広げ、堰を切ったようにまくしたてた。
「だってAちゃんさー、ウチらが大縄飛びやってたら(入れてー)って来たから入れてあげたんだよ。 それなのにすぐに飽きちゃって、早く違う遊びしよう、って言うんだよ。」
「なんだ、そんなことか。 いいじゃん、違う遊びしてあげれば。」
「 だから皆で何するか決めようって言ったんだよ。 そしたらAちゃん、さっきは大縄にしてあげたんだから今度は私のやりたいのにしてよ!、だって。 自分が後から入ってきたのに!」
なるほど、大人の世界でもありそうなことだが、、、それなりに理屈は通っている。
「そうか、、、それでみんなAちゃんが何したいか聞いてみたの?」
「うん、 鉄棒だって。 でもみんな鉄棒やりたくないって言ったら、Aちゃん、怒って帰っちゃった。」
「フ−ン。」
「何でうちらが怒られなきゃいけないの? Aちゃんが勝手に入ってきたのに、、。 おかしいよー。」
確かに、次女の言っていることは間違ってはいない。
物事の筋から言えば、、、間違っているのは 「Aちゃん」 ということになるのだろう。
でも一方で、私は彼女が 「後から入って来たのだから」 という部分に拘り過ぎているのが気になった。
我が子には、もう少し 「おおらかな子」 でいて欲しかったのだ。
「明日学校に行ったら、ごめんね、って仲直りしな。」
「えー、やだよー。 だって、うちは悪くないんだもん」
「誰も悪いなんて言ってないよ。 でも、ごめんね、って言ったら、Aちゃんもきっと、ごめんねって言うんじゃないかな。 それで仲直りしたら、また一緒に遊べばいいじゃん」
「なんか変なの。 悪くないのに謝るなんて、、。」
昔、アメリカテニス界に 「J.マッケンロー」 という名選手がいた。
ある時テレビで彼の試合を見ていると、ジャッジを不満に思ったマッケンロー選手が 「Give me a break!( いい加減にしてくれよ!)」 と審判に詰め寄り、、、しばしプレーが中断する場面があった。
それは、他の選手のように 「一応不満をアピール」 する、といった調子ではなく、、、場合によっては、そのまま試合を放棄して立ち去りそうな猛烈な抗議。
ここでアナウンサーが 「マッケンロー選手の信条」 に関するエピソードを紹介した。
曰く 「自分が正しいと思ったら、相手が誰であろうと絶対に譲るな!」
彼は幼少の頃、弁護士だった父親にそう叩き込まれたのだという。
次女のシャンプーを流してやりながら、、、私は逆説的にその話しを思い出していた。
「でもさー、父ちゃん。 父ちゃんはどっちが悪いと思うの?」
「うーん。 どっちも悪くないし、、、どっちも悪いな。」
「えー? 何それ?」
「わがままばかり言ったのは、Aちゃんが悪い。 でも後から来たのに、って優しくしてあげなかったのはミミも悪いな。 でもそんなことぐらい良くあることだから、悪くないって言えばどっちも悪くない。 」
「???」
「要は、もっと気持ちに遊びがあればいいんだよ。」
「遊び?」
「うん。 父ちゃんの言ってる遊びは 「縄跳び」 や 「駆けっこ」 の遊びじゃなくて、、、なんて言うかなー、、、」
実際、これを子供に説明するのは、ちょっと難しい。
「ピッタリしてなくてちょっと緩いこと、って言うかな、、。 例えば、玄関にカギを刺し込むと、ちょうどピッタリじゃなくて少しだけグラグラするよな?」
「うん」
「あれは、鍵の遊び。 もし遊びがなくてピッタリだったら、ちょっと斜めにしただけで鍵は曲がっちゃうし、抜けなくなっちゃうんだ」
「へー、そうなんだ。」
「そう。 部品に遊びがなければ、時計だって動かないんだぞ。」
「父ちゃん、、、また時計の話しかー。」
「とにかく、、、だから人間の気持ちにも、遊びがあった方が楽しいんだ。 あんまり細かくピッタリし過ぎてるとすぐに、どっちが悪い、って話になって、お互い、つまらなくなっちゃう。」
「ふうーん。」
「ちょっとぐらいは、まあいいっか、って。 それが気持ちの遊び。」
自分に言い聞かす言葉でもある。
言うは易しいが、、、実行は困難。
しかしそれは間違いなく人間関係を円滑化し、無用のトラブルやストレスを回避する 「知恵」 と言えるだろう。
「でもさあ、父ちゃん。」
バスタオルで身体を拭いてやっていると、、、次女が心配そうに聞いた。
「もしうちがごめんね、って言っても、Aちゃん怒ってたらどうすればいいの?」
「その場合は仕方ないな。 お互い、それ以上無理して一緒に遊ばなくてもいい。 遊びは無けりゃ困るけど、大き過ぎてもいけない。 遊びが大き過ぎると、時計も止まっちゃうんだそー。」
「もう、父ちゃんまた時計の話しー!」
7歳の次女には、まだ解らないだろう。
でもいつか彼女が大人になり、人間関係で悩んだ時 「オヤジがこんなこと言ってたなー」 と想い出してくれたら、それでいい。
オカッパ頭にドライヤーを掛けてやりながら、、、オヤジは心からそう思ったのだ。