今月の22日、第一回目の 「フランス語の授業」 が始まる。
御茶ノ水にある 「アテネ フランセ」 に入学申し込みしたのが先月の末。
週に一回のゆるーいコースだが、この年になって 「学生」 に戻ることになり、、、結構身が引き締まる思いをしている。
元々、時計関係の資料や技術書は、フランス語のものが多い。
これはいい! と思った資料に限って英語版がなかったりすることがあり、、、何年も前からフランス語を 「やるやる」 と言っていたのだが(このブログでもかつてそう言っていたような、、?)、、、結局は始めずにるまま、日々が過ぎ去ったのだ。
ところが最近 「Pさん」 や 「F氏」 といった 「フランス語圏の仲間」 と接する機会が多くなった。
極め付けは、先日F氏がパスタイムに持ってきた、時計の 「専門書」
優に100年は経った古い本なのだが、かつて機械式時計が最も円熟していた時代に書かれたもので、時計の設計について実に実用的な解説がなされている、、、、ようだった。
「ようだった」 というのも、、、フランス語の解らない私は、そのイラストとF氏の解説によってそう知っただけだから。
来日寸前にスイスの蚤の市でこの本を見つけたF氏は 「いい本だから、コピーしてあげるよ」
実に有り難い申し出だが、、、コピーを貰っても、全く読めないではないか。
ここに至って 「口ばかり」 の私も、ようやっと 「ヨイショ」 と、重い腰を上げた次第なのだ。
当初は 「NHKのラジオ講座」 で独学するつもりだった。
かつてアメリカで学生をしていた時分 「スペイン語」 をかじったことがあり、「同じラテンの言葉だから似たようなものだろう」 と軽く考えていたのだ。
ところがどっこい!
PさんやF氏に会う度 「これは何て読む?」 「これは?」 と聞きまくってみたところ、、、全く聞き取れない。
何度言われた通りに私が真似してみても、、、「違う」 「全然ダメ」
仕舞には、5歳になるPさんの長女にまで苦笑される始末。
とにかく、単語の綴りからは想像のつかない発音だらけなのだ、、。
パスタイムの 「オリジナルムーブメント構想」 への協力を申し出てくれたF氏の滞在期間は、あと8ヶ月。
専門書が読破出来るようになるには 「少なくとも5年」 、いや、もっと掛かりそうな感じだが、、、。
F氏が日本にいるうちに、せめて日常会話の 「かけら」 くらい出来るようになりたい。
そんな風に願いながら、、、時計屋オヤジは 「50の手習い」 を始めたのだ。
御茶ノ水にある 「アテネ フランセ」 に入学申し込みしたのが先月の末。
週に一回のゆるーいコースだが、この年になって 「学生」 に戻ることになり、、、結構身が引き締まる思いをしている。
元々、時計関係の資料や技術書は、フランス語のものが多い。
これはいい! と思った資料に限って英語版がなかったりすることがあり、、、何年も前からフランス語を 「やるやる」 と言っていたのだが(このブログでもかつてそう言っていたような、、?)、、、結局は始めずにるまま、日々が過ぎ去ったのだ。
ところが最近 「Pさん」 や 「F氏」 といった 「フランス語圏の仲間」 と接する機会が多くなった。
極め付けは、先日F氏がパスタイムに持ってきた、時計の 「専門書」
優に100年は経った古い本なのだが、かつて機械式時計が最も円熟していた時代に書かれたもので、時計の設計について実に実用的な解説がなされている、、、、ようだった。
「ようだった」 というのも、、、フランス語の解らない私は、そのイラストとF氏の解説によってそう知っただけだから。
来日寸前にスイスの蚤の市でこの本を見つけたF氏は 「いい本だから、コピーしてあげるよ」
実に有り難い申し出だが、、、コピーを貰っても、全く読めないではないか。
ここに至って 「口ばかり」 の私も、ようやっと 「ヨイショ」 と、重い腰を上げた次第なのだ。
当初は 「NHKのラジオ講座」 で独学するつもりだった。
かつてアメリカで学生をしていた時分 「スペイン語」 をかじったことがあり、「同じラテンの言葉だから似たようなものだろう」 と軽く考えていたのだ。
ところがどっこい!
PさんやF氏に会う度 「これは何て読む?」 「これは?」 と聞きまくってみたところ、、、全く聞き取れない。
何度言われた通りに私が真似してみても、、、「違う」 「全然ダメ」
仕舞には、5歳になるPさんの長女にまで苦笑される始末。
とにかく、単語の綴りからは想像のつかない発音だらけなのだ、、。
パスタイムの 「オリジナルムーブメント構想」 への協力を申し出てくれたF氏の滞在期間は、あと8ヶ月。
専門書が読破出来るようになるには 「少なくとも5年」 、いや、もっと掛かりそうな感じだが、、、。
F氏が日本にいるうちに、せめて日常会話の 「かけら」 くらい出来るようになりたい。
そんな風に願いながら、、、時計屋オヤジは 「50の手習い」 を始めたのだ。