またまた、やってしまった。
と言っても今回は 「寝坊」 や 「飲み過ぎ」 ではなく、、、「仕入れた時計」 の話し。
先日アメリカの取引先から届いた時計が 「失敗」 だったのだ。
時計屋になって23年、それなりには年季が入って失敗は減ったが、、、やはり0にはならない。
いや、0にならないどころか、いまだに全体の一割くらいは失敗ではなかろうか。
もっともここで言う 「失敗」 は、いわゆる 「偽物」 を掴まされたとか、「修理できない時計」 を買ってしまった、ということではない。
「きちんと直したら、採算が合わない時計」 を買ってしまった、という意味なのだ。
ここで、これを読んだ皆さんは不思議に思うかもしれない。
「長年時計屋をやっているのに、何故そんな失敗をするのだろう?」
「店主に学習能力が無いのではないか?」 と。
確かに、学習能力に関しては少々自信が無いが、、、そうでなかったとしても 「避けることが出来ない部分」 があるのは確かなのだ。
かつて時計を買い付けるにあたっては、現地まで頻繁に足を運んでいた。
その殆どは、最も品物の豊富なアメリカ。
アメリカ時計が豊富なのは勿論だが、、、スイスやドイツの高級品の多くは、当時富の集中していたアメリカ向けに輸出されていたからだ。
私が一人で出掛けてゆく以外に、年に一度は店を閉めて、全員で行っていた。
全員がいる場合、買い付ける時計の 「品定め」 はより念入りになる。
私が隅から隅まで見て 「問題なし」 と判断したものを、次に渡す。
2番目のチェックで問題が発見されなければ、次、、そしてまた次。
5人全員がそれぞれ違った目でチェックし、問題のない時計を購入してゆく、という訳だ。
ところが、、ところがである。
帰国後、店の工房で品出し前の 「分解・点検」 を行うと、、、この中からも 「問題児」 が出てくるのだ。
現地では見ることの出来なかった 「受け板の下」 や 「文字盤下」 の部品を始め、、、場合によっては主要部品である 「地板や受け板」 の裏側の打撃、欠損、改造等、、。
例えば、折れてしまった 「歯車の歯」 がハンダ付けされていたりする場合、、、取り敢えず機能自体は損なわれていない場合が多い。
これが受け板などに隠れていた場合は、、、、現場でどんなに念入りにチェックしたところで、分る訳がないのだ。
何人もの目で、穴の開くほど見てもこんな具合だから、、、取引先との 「画像とメールのやり取り」 で判断することが多くなった最近は、より難しくなった。
長年の付き合いの連中は 「故意」 に問題児を薦めることはないが、、、かといって、先方も一々全ての時計を分解して細部まで確認してはいられない。
そして、 「現状取引き」 が慣習のプロ同士の取引では、後から 「ここがダメだった、あそこが悪かった」 というのはご法度。
「品物選び」 は、あくまでも 「自己責任」 なのだ。
一方で、100年以上も経過している時計に 「完全無欠な状態」 を期待するのは、非現実的。
程度の差こそあれ、多少なりとも 「消耗すべき部分」 は消耗しているのが当たり前だし、、かつていじった時計屋が粗相して 「ルビー」 を割ってしまったりしている部分もある。
しかし、それはいいのだ。
何故なら、、、少なくともまともなグレードのアンティークウォッチに関しては 「消耗すべき部品」 や 「一定頻度で破損の予想される部品」 は、、、、腕と道具さえがあれば、いくらでもそれ単体が製作・交換できるように作られているから。
つまり、こういう類の作業に関しては、最初からこっちも計算に入っている訳だ。
問題なのは、、、完全に修復していると時間が掛かり過ぎて、採算が合わなくなる時計。
例えばここに、修復後の 「店頭販売価格」 が、¥200.000程度の時計があったとしよう。
この時計を検品していて、、、、熟練した技術者にとっても 「のべ20日間の作業が必要な欠損」 が確認されたとする。
極端な話し、この時計の仕入れ費用が、たった 「1円」 であったとしても、、、、修理することはない。
何故ならそれは、、、「¥200.000を得るために、それ以上のお金を払う」 ことになるから。
これは 「片身の時計」 や 「思い入れのある時計」 の修復をお預かりする場合とは、全く別の次元の話しなのだ。
さてさて、、、こんな 「失敗」 の時計達はどうなるか?
泣く泣く、、工房の一番奥、突き当たりの 「ジャンク用引き出し」 にお蔵入りすることになる。
しかし 「全く無駄」 になると決まったわけではなくて、、、僅かな 「救い」 はある。
何故なら、「同型の時計の修復」 の際に、その 「部品」 が利用できることがあるから。
言ってみれば、、、、臓器提供における 「ドナー」 のようなものか。
引き出しの中に溢れんばかりの 「失敗の残党」
中には、20年以上前から居座る奴もいる。
あまり増え続けて欲しくないのが、本音だが、、。
その一つ一つには、、、「ほろ苦い想い出」 が詰まっているのだ。
と言っても今回は 「寝坊」 や 「飲み過ぎ」 ではなく、、、「仕入れた時計」 の話し。
先日アメリカの取引先から届いた時計が 「失敗」 だったのだ。
時計屋になって23年、それなりには年季が入って失敗は減ったが、、、やはり0にはならない。
いや、0にならないどころか、いまだに全体の一割くらいは失敗ではなかろうか。
もっともここで言う 「失敗」 は、いわゆる 「偽物」 を掴まされたとか、「修理できない時計」 を買ってしまった、ということではない。
「きちんと直したら、採算が合わない時計」 を買ってしまった、という意味なのだ。
ここで、これを読んだ皆さんは不思議に思うかもしれない。
「長年時計屋をやっているのに、何故そんな失敗をするのだろう?」
「店主に学習能力が無いのではないか?」 と。
確かに、学習能力に関しては少々自信が無いが、、、そうでなかったとしても 「避けることが出来ない部分」 があるのは確かなのだ。
かつて時計を買い付けるにあたっては、現地まで頻繁に足を運んでいた。
その殆どは、最も品物の豊富なアメリカ。
アメリカ時計が豊富なのは勿論だが、、、スイスやドイツの高級品の多くは、当時富の集中していたアメリカ向けに輸出されていたからだ。
私が一人で出掛けてゆく以外に、年に一度は店を閉めて、全員で行っていた。
全員がいる場合、買い付ける時計の 「品定め」 はより念入りになる。
私が隅から隅まで見て 「問題なし」 と判断したものを、次に渡す。
2番目のチェックで問題が発見されなければ、次、、そしてまた次。
5人全員がそれぞれ違った目でチェックし、問題のない時計を購入してゆく、という訳だ。
ところが、、ところがである。
帰国後、店の工房で品出し前の 「分解・点検」 を行うと、、、この中からも 「問題児」 が出てくるのだ。
現地では見ることの出来なかった 「受け板の下」 や 「文字盤下」 の部品を始め、、、場合によっては主要部品である 「地板や受け板」 の裏側の打撃、欠損、改造等、、。
例えば、折れてしまった 「歯車の歯」 がハンダ付けされていたりする場合、、、取り敢えず機能自体は損なわれていない場合が多い。
これが受け板などに隠れていた場合は、、、、現場でどんなに念入りにチェックしたところで、分る訳がないのだ。
何人もの目で、穴の開くほど見てもこんな具合だから、、、取引先との 「画像とメールのやり取り」 で判断することが多くなった最近は、より難しくなった。
長年の付き合いの連中は 「故意」 に問題児を薦めることはないが、、、かといって、先方も一々全ての時計を分解して細部まで確認してはいられない。
そして、 「現状取引き」 が慣習のプロ同士の取引では、後から 「ここがダメだった、あそこが悪かった」 というのはご法度。
「品物選び」 は、あくまでも 「自己責任」 なのだ。
一方で、100年以上も経過している時計に 「完全無欠な状態」 を期待するのは、非現実的。
程度の差こそあれ、多少なりとも 「消耗すべき部分」 は消耗しているのが当たり前だし、、かつていじった時計屋が粗相して 「ルビー」 を割ってしまったりしている部分もある。
しかし、それはいいのだ。
何故なら、、、少なくともまともなグレードのアンティークウォッチに関しては 「消耗すべき部品」 や 「一定頻度で破損の予想される部品」 は、、、、腕と道具さえがあれば、いくらでもそれ単体が製作・交換できるように作られているから。
つまり、こういう類の作業に関しては、最初からこっちも計算に入っている訳だ。
問題なのは、、、完全に修復していると時間が掛かり過ぎて、採算が合わなくなる時計。
例えばここに、修復後の 「店頭販売価格」 が、¥200.000程度の時計があったとしよう。
この時計を検品していて、、、、熟練した技術者にとっても 「のべ20日間の作業が必要な欠損」 が確認されたとする。
極端な話し、この時計の仕入れ費用が、たった 「1円」 であったとしても、、、、修理することはない。
何故ならそれは、、、「¥200.000を得るために、それ以上のお金を払う」 ことになるから。
これは 「片身の時計」 や 「思い入れのある時計」 の修復をお預かりする場合とは、全く別の次元の話しなのだ。
さてさて、、、こんな 「失敗」 の時計達はどうなるか?
泣く泣く、、工房の一番奥、突き当たりの 「ジャンク用引き出し」 にお蔵入りすることになる。
しかし 「全く無駄」 になると決まったわけではなくて、、、僅かな 「救い」 はある。
何故なら、「同型の時計の修復」 の際に、その 「部品」 が利用できることがあるから。
言ってみれば、、、、臓器提供における 「ドナー」 のようなものか。
引き出しの中に溢れんばかりの 「失敗の残党」
中には、20年以上前から居座る奴もいる。
あまり増え続けて欲しくないのが、本音だが、、。
その一つ一つには、、、「ほろ苦い想い出」 が詰まっているのだ。